「らんまん」名教館の学頭・池田蘭光(寺脇康文) モデルは佐川の偉大な教育者・伊藤蘭林

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NHK連続テレビ小説「らんまん」で、主人公・槙野万太郎の人生の師匠となる学者・池田蘭光(いけだ・らんこう)についてまとめます。

この池田蘭光というキャラクターは、実在した名教館の教授・伊藤蘭林(いとう・らんりん)がモデルと考えられます。

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目次

万太郎の最初の師匠・池田蘭光

主人公の槙野万太郎は、深尾家家臣・塚田昭徳の許しを得て、町民の身分ながら地元の士族向けの学問所「名教館(めいこうかん)」に通い始めます。

名教館は地理、天文、物理など西洋の学問を学べる先進的な郷校。当初は士族ばかりが通う校風に馴染めずにいた万太郎でしたが、ここで植物の本に出会ったことで学問の楽しさに目覚めていきます。

そんな万太郎に大きな影響を与えていくのが、高名な学者であり名教館の学頭を務めている池田蘭光(寺脇康文)です。

池田蘭光は学問の世界では名の知られた知識人ですが、無類の酒好きであり服装もいつも無頓着。世間の常識と少しずれた感性を持っているのか、変わり者として知られます。

池田蘭光は、学問の世界に興味を持ち始めた万太郎少年に学び続けることの大切さを教えてくれます。「変わり者」同士どこか通ずるものがあったのか、池田蘭光の言葉は万太郎の心を打つようです。人生最初の師匠ともいうべき池田蘭光の存在は、その後の万太郎の人生に大きな影響を与えていくことになります。

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モデルは名教館の教授・伊藤蘭林 牧野富太郎、田中光顕、広井勇ら多くの著名門下生

槙野万太郎のモデル人物である牧野富太郎(1862-1957年)は、寺子屋に学んだのち、11歳になると生まれ故郷の高知・佐川にあった郷校「名教館(めいこうかん)」に通っています。

江戸時代、佐川領主の深尾家によって設立されたハイレベルな教育機関・名教館。富太郎が通った明治初期当時の名教館では、従来の儒学漢学にとどまらず、地理、天文、物理学など西洋の最先端の学問が教えられていました。佐川はこの名教館があったおかげで、県都高知に次ぐ学問の地として発展したとか。

この名教館には儒学や算術、四書、五経などを教えていた伊藤蘭林(伊藤徳裕。1815-1895年)という高名な儒学者がおり、この人物が「らんまん」に登場する池田蘭光のモデルになっていると考えられます。

伊藤蘭林は、佐川の上郷地区で深尾家家臣・伊藤徳正の子として生まれると名教館で学び、同校の教授となっています。名教館は深尾家家臣の子弟が多数通う教育機関であり、伊藤蘭林の教えを受けた多くの門下生が後に名を残しています。当時の佐川の学徒で、彼から教えを受けなかった者はいないと言われるほど重要な教育者だったとか。

伊藤蘭林の教え子としては、富太郎の同い年で後に「港湾工学の父」と呼ばれるまでになる土木工学者・広井勇(ドラマでは広瀬佑一郎として登場)がいたほか、田中光顕(宮内大臣や伊藤博文初代首相の内閣書記官長などを務めた元土佐藩士、幕末志士、政治家)、土方寧(貴族院勅選議員などを務めた法学者)、古沢滋(勤王倒幕運動に参加。奈良、石川、山口の知事、貴族院議院などを務めた)らも蘭林のもとで学んだ門下生です。

明治初期に学制の改革が行われると歴史ある名教館は廃止されてしまいますが、伊藤蘭林はその後も終生家塾を開いて郷土の子弟たちを教えたそうです。

※広井勇の曽祖父・広井遊冥はかつて名教館で儒学や和算を教えており、伊藤蘭林は広井遊冥のもとで学んだ弟子だったそうです。このあたりの関係性もドラマ内(池田蘭光と広瀬佑一郎)で描かれるかも知れません。

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▼81歳で亡くなるまで、終生後進の教育にあたった蘭林。家塾(寺子屋)の建物が今も佐川の中心部に大切に保存されています(移築)。

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