「らんまん」酒蔵「峰屋」のモデルは牧野富太郎の生家「岸屋」 跡地は「ふるさと館」として公開

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NHK連続テレビ小説「らんまん」より。主人公の生家・槙野家が営む酒蔵「峰屋」についてまとめます。

「峰屋」は高知・佐川町にあった酒造・雑貨商の「岸屋」(牧野富太郎の生家)がモデルになっています。また、峰屋のスタジオセットのデザインは佐川町にある老舗の酒蔵「司牡丹酒造」などを参考に創作されたとのことです。

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目次

酒蔵「峰屋」を営む裕福な槙野家 銘酒「峰乃月」

主人公・槙野万太郎(神木隆之介)は、高知で酒蔵・峰屋を営む裕福な商家・槙野家の生まれ。万太郎が生まれた土佐の佐川町は古くから酒造りが盛んな土地柄で、銘酒「峰乃月」をつくる峰屋も町有数の歴史ある酒蔵として知られます。

万太郎の両親は早くに亡くなってしまうため、峰屋は万太郎の祖母・タキ(松坂慶子)が切り盛りしていきます。

峰屋には頼れる番頭・市蔵(小松利昌)やその妻で女中頭のふじ(石村みか)がいるほか、市蔵の息子で万太郎の世話役を任される竹雄(志尊淳)、若き女中のたま(中村里帆)、杜氏の寅松(嶋尾康史)、蔵人の幸吉(笠松将)ら多くの仕事人たちが出入りしています。

表向きはタキが取り仕切っている峰屋ですが、実際の当主はまだ幼い万太郎です。槙野家の分家筋にあたる小間物屋の豊治(菅原大吉)やその息子の伸治(坂口涼太郎)、分家のひとつである紀平(清水伸)らはボンボンの万太郎が気に食わないらしく、いつも万太郎の悪口三昧。そんな分家筋に対し、タキは「分家の分際で!」と怒り心頭です。

タキから立派な跡取りになることを期待され厳しく育てられる万太郎ですが、大好きな植物研究にうつつを抜かし、家業もそっちのけ。その一方で万太郎の姉・綾(佐久間由衣)は酒造りに魅了されいつかは自分の酒をつくりたいと願っていますが、女であるという理由で酒蔵への出入りを許されません。タキは、酒蔵への執着がありすぎて一向に嫁に行きたがらない綾の行く末も気がかりです。

後継者問題、分家との不仲、綾の結婚問題など、課題が山積みの峰屋。「名家の当主」という宿命ゆえに自由な人生を許されない万太郎と、酒造りをしたいのにやらせてもらえない綾の苦悩などを中心に、物語は進んでいきます。

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モデルは牧野富太郎の生家「岸屋」 店舗デザインは「司牡丹酒造」も参考に

劇中に登場する峰屋は、「日本の植物学の父」牧野富太郎の生家が営んでいた「岸屋」がモデルになっています。

酒造りが盛んだった土佐・佐川町で雑貨業(小間物屋)と酒造業を営み、近隣から「見附の岸屋」「佐川の岸屋」と呼ばれていた牧野家。江戸時代から代々続く商家であり、武士ではないのに名字を持ち、帯刀も許された名家でした。

裕福な家に生まれた富太郎でしたが、3歳の時に父・佐平(親戚から来た婿養子)が、5歳の時に母・久寿が30代で相次いで亡くなり、さらに翌年には祖父も死去。一人息子だった富太郎は祖母の浪子の手によって大切に育てられています。

※「牧野富太郎自叙伝 第二部」によれば、富太郎の母は祖父の先妻の娘であり、富太郎を育てた祖母・浪子は後妻。つまり、富太郎と浪子との間に血縁関係はないそうです。

主を失った岸屋ですが、祖母の浪子が経営を引き継ぐと、優秀な番頭がいたこともあり、商売は傾くこともなく安定していました。

やがて地元の郷校・名教館に通う中で植物研究と学問に目覚めた富太郎は、家業そっちのけで植物採集に熱中していくと、岸屋を祖母と番頭に任せたまま上京。東京大学の植物学教室に出入りしながら植物の研究に没頭していきます。

富太郎は一人息子だったこともあり実家の財産を湯水のように植物研究や生活費、遊興費に使い込み、ついには家の財産を食いつぶしてしまいます。

祖母は25歳で亡くなり、やがて富太郎は「岸屋」を番頭の和之助に譲っています。その際、富太郎は和之助に対し、自分のいとこの猶(なお)という女性と一緒になって岸屋を受け継いでくれないかと打診をしています。

こうしたエピソードが、「らんまん」における番頭の息子・竹雄と万太郎の姉・綾との恋愛エピソードに転用されています。※綾は万太郎の実の姉ではなく、少し複雑な生い立ちをしています。

▷ドラマの公式ガイドブックによれば、峰屋のセットは茨城県内のロケ施設(ワープステーション江戸と思われます)とNHKのスタジオにつくられたとのこと。店舗のセットデザインは実際に佐川町の街並みをロケハンした上で、牧野富太郎の生家の写真や、佐川に今も残る江戸時代からの酒蔵「司牡丹酒造」(創業415年)を参考にしているとのこと。

生家跡地は「牧野富太郎ふるさと館」に

その後、岸屋は和之助と猶の代で廃業となったようです。牧野富太郎の生家があった場所には「牧野富太郎 ふるさと館」が建てられ、その偉業がたたえられています。

「ふるさと館」には富太郎の遺品や直筆の手紙、原稿等が展示されている展示室があるほか、建物の前には「牧野富太郎先生誕生之地」の碑が建てられています。

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