NHK連続テレビ小説「らんまん」7月21日(金)放送の第80回では、万太郎の子を妊娠していた寿恵子が無事出産。可愛らしい女の子が誕生し、「園子(そのこ)」という名前が付けられました。
万太郎と寿恵子のモデルである牧野富太郎・壽衛子夫妻の長女の名前も「園子」であり、この人物がモデルになっていそうです。
待望の長女が誕生 園子と命名
1884年(明治17年)秋。長期に渡る植物採集旅行により万太郎(神木隆之介)が不在の中、妊娠中だった寿恵子(浜辺美波)に陣痛が発生。長屋の女性たちや助産師の手助けもあり、寿恵子は自室で無事に可愛らしい女の子を出産します。
旅行中、万太郎は生まれてくる赤ちゃんの名前の候補が思い浮かぶたびに寿恵子に手紙を送っていました。
万太郎が思い浮かぶ名前は愛する植物をモチーフにしたものばかりで、「スミレ」「ナズナ」「ユキ(ユキノシタ)」「スギナ」「リンドウ」など思い浮かぶ名前は不思議と女の子が中心。その予感通り、可愛らしい女の子が誕生したのでした。
実際に赤ちゃんを見た万太郎はその可愛さにメロメロ。「こうして会うとすべてが愛おしいがじゃ…(名前は)一つに決められんきに…」。そう悩む万太郎ですが、赤ちゃんを見つめているうちにふと「園子(そのこ)」という名前が思い浮かびます。
「この子の人生にありとあらゆる草花が咲き誇るように…」。多種多様な草花が咲き誇るガーデン(Garden)のように美しく幸福な人生を歩んでほしい。そうした願いがこめられた名前でした。
園子は両親や長屋の人たちに愛されすくすくと育っていきます。間もなく寿恵子は第2子を妊娠し幸せな空気に包まれますが、ある日突然園子が麻疹(はしか)と思われる高熱にうなされてしまい…。
モデルは長女の牧野園子か 待ち受ける運命とは
万太郎と寿恵子のモデルである牧野富太郎・壽衛子夫妻の間には、13人の子供が生まれたとされます。
ただし当時は多産多死の時代であり、13人のうち6人は早世。無事に育ったのは「三男四女」(上から香代、鶴代、春世、百世、勝世、己代、玉代。※春世、百世、勝世が男子)の7人でした。
「らんまん」で待望の長子として誕生した「園子」ですが、史実を参考にすると、悲しい運命をたどる可能性があります。
というのも富太郎・壽衛子の長女として生まれた「園子」という子は、1893年(明治26年)1月に病気で早世してしまっているのです。※二人が結婚したのが1890年(明治23年)頃?ですので、園子もまだ幼い時期に急死したことになります。
園子が亡くなった当時、富太郎は家業「岸屋」の財産整理のために一人で高知に長期帰郷をしている最中でした(※このエピソードは第12週、第13週に万太郎、寿恵子、竹雄の長期帰郷、祝言という形ですでに描かれています)。
この長期帰郷は1年以上に渡り、富太郎は故郷で植物採集や音楽活動、いとこの猶と番頭の結婚の取り決め、いとこ夫妻への岸屋の譲渡なども行っていました。
その間、妻の壽衛子は東京に残り、一人で長女の園子の育児を担当していました(第二子の香代も生まれたばかりだったとも)。
壽衛子は園子は病気になると、高知で遊び回っている富太郎に何度もSOSの手紙を送ったそうですが、富太郎は一切返事をせず。富太郎は園子の死を知ると、急遽高知から東京に戻っています。
この再上京後、富太郎は大学の助手の仕事を得て俸給生活に突入。以降、夫妻には毎年のように子供が生まれ「貧乏子だくさん」の困窮生活に突入していきます。
ドラマでも園子が亡くなりそう…
史実と同じ「園子」という名前が登場したことから、「らんまん」でも史実同様に園子の身に不幸が訪れる展開となりそうです。
東京大学植物学教室への出入りを禁止された万太郎は里中(いとうせいこう)や野田(田辺誠一)の強い勧めもありマキシモヴィッチを頼ってのロシア行きを決断。寿恵子がロシア行きに前向きだったこともあり、一家は第二子の誕生を待ってのロシア行きの準備を進めていくことになります。
しかし、このタイミングで愛娘の園子が突然高熱を出して倒れてしまい、悲しい出来事が発生しそうです。これに加えてマキシモヴィッチ氏の急死の報も届き、万太郎一家のロシア行きは幻となってしまいそうです。
※史実では園子の急死はロシア行き騒動の2年後に発生しています。このあたりの時系列は前後しており、ドラマではオリジナルストーリーとして再構築されています。