NHK連続テレビ小説「ブギウギ」の物語の時代設定や、ヒロイン鈴子(芸名・福来スズ子)の年齢と年表をまとめていきます。
また、参考までにヒロインのモデルとなっている歌手・笠置シヅ子の簡単な人生年表もまとめておきます。
※この記事は、物語の進展とともに随時追記していく予定です。
大正15年からスタート 戦前戦後の激動の時代を描く
「ブギウギ」のヒロイン・花田鈴子のモデル人物である笠置シヅ子は、1914年(大正3年)8月25日生まれ。
小学校を卒業した1927年(昭和2年)に松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)に入団し戦前のOSKの隆盛に貢献すると、1938年(昭和13年)には東京の帝国劇場で旗揚げされた松竹楽劇団(SGD)に参加しています。
SGDで作曲家の服部良一と出会い師弟関係となると、苦しい戦中の時代を経て戦後の1947年(昭和22年)には服部良一とのコンビで「東京ブギウギ」が大ヒット。「ブギの女王」として敗戦国日本を照らす明るい光となっています。
「ブギウギ」では笠置シヅ子の半生をモデルとし、特に昭和時代の少女歌劇団入団、歌手としての目覚め、自由な表現が抑圧される戦争の時代、戦後のスターダムへの躍進、戦後復興期の活躍などが描かれそうです。
第1週は元号が変わる1926年(大正15年/昭和元年)からスタート。尋常小学校6年生の鈴子が登場します。
以下、鈴子の年表をまとめます(随時追記予定)。
※1926年の初登場時の鈴子は尋常小学校6年生(現在の小学6年生。修了時の年齢は12歳)ですので、尋常小学校を卒業する1927年=12歳を基準として年齢を併記しておきます。昭和の年数+10をするとスズ子の年齢になりますので、わかりやすいかと思います。
花田鈴子 / 福来スズ子 の人生年表と年齢
1926年(大正15年/昭和元年)=鈴子11歳…銭湯の看板娘として歌う日々【第1週】
鈴子は尋常小学校の6年生。銭湯の常連客の前で歌を歌う日々。親友のタイ子に恋のお節介。タイ子の話から花咲少女歌劇団の存在を知る。
1927年(昭和2年)=鈴子12歳…小学校卒業、USKに入団【第1〜2週】
3月に花咲音楽学校を受験した後、尋常小学校を卒業。その後研究生として梅丸少女歌劇団(USK)に入団。芸名「福来スズ子」を名乗り水の滴役で舞台デビュー。
1933年(昭和8年)=スズ子18歳…趣里が登場、桃色争議【第3週】
ヒロインを演じる趣里が登場。スズ子は人気劇団となった梅丸少女歌劇団(USK)の主力メンバーに。親会社の梅丸に抗議をするストライキ「桃色争議」が発生。
1934年(昭和9年)=スズ子19歳…生誕地の香川へ【第4週】
叔母からの手紙を受けてスズ子と六郎が香川へ。次郎丸家の法事に出席。そこで知られざる出生の秘密を知る。
1937年(昭和12年)=スズ子22歳…スズ子と秋山の二本柱に【第5週】
日中戦争による好景気。USKは秋山美月とリリー白川がトップスターに。スズ子の歌と秋山の踊りの二本柱でいく方針が伝えられる。
1938年(昭和13年)=スズ子23歳…上京、UGDで羽鳥善一と出会う【第6週】
東京で旗揚げされる男女混成の劇団・梅丸楽劇団(UGD)に参加するために秋山とともに上京。歌の師匠・羽鳥善一と出会う。ツヤが病気がちに。
1939年(昭和14年)=スズ子24歳…六郎出征、ツヤが亡くなる【第7週〜】
「ラッパと娘」のヒットにより「スイングの女王」と呼ばれるように。日宝移籍騒動。六郎が出征、ツヤが亡くなる。梅吉が上京しスズ子と暮らし始める。
1940年(昭和15年)=スズ子25歳…梅吉が酒浸り、梅丸楽劇団が解散【第9週〜】
警察からの締め付けで自由に歌えなくなる。梅吉、泥酔の日々。小林小夜が弟子入り志願。梅丸楽劇団が解散。
1941年(昭和16年)=スズ子26歳…「福来スズ子とその楽団」結成【第10週】
春、自らの楽団「福来スズ子とその楽団」を結成。六郎が戦死。12月に米英と戦争状態に突入。
1942年(昭和17年)=スズ子27歳…地方巡業へ【第10週】
敵性歌手のレッテルを貼られ東京での公演が難しくなった「福来スズ子とその楽団」が地方巡業へ。
1943年(昭和18年)=スズ子28歳…村山愛助と出会う【第11週】
巡業先の愛知で大学生の青年・村山愛助と出会う。愛助20歳、スズ子28歳。
1944年(昭和19年)=スズ子29歳…五木が失踪、スズ子と愛助が同棲【第12週〜】
巡業先の信州でマネージャーの五木が失踪。病気が思わしくない愛助とスズ子が三鷹で同棲開始。
1945年(昭和20年)=スズ子30歳…終戦【第14週〜】
富山の巡業先で静枝、幸親子と出会う。終戦へ。
1946年(昭和21年)=スズ子31歳…楽団解散、妊娠【第15週〜】
「福来スズ子とその楽団」を解散。小夜と米兵のサムが恋仲になり渡米。愛助が病気治療のために大阪に戻る。スズ子が妊娠。
1947年(昭和22年)=スズ子32歳、愛子0歳…愛助が亡くなる、愛子が生まれる【第18週〜】
妊娠中のスズ子、舞台「ジャズカルメン」の主演を務める。愛助が亡くなり、愛子が生まれる。「東京ブギウギ」が誕生。
1948年(昭和23年)=スズ子33歳、愛子1歳…タイ子と再会【第20週】
「東京ブギウギ」に続き「ジャングル・ブギー」もヒット。親友のタイ子と再会。ラクチョウの女たちと知り合う。
1949年(昭和24年)=スズ子34歳、愛子2歳…タナケンと映画共演【第21週〜】
愛子が成長しやんちゃ娘に。タナケンとの映画「タナケン福来のドタバタ夫婦喧嘩」の撮影。
1950年(昭和25年)=スズ子35歳、愛子3歳…トミが亡くなり山下が辞職【第22週〜】
愛助の母・トミが亡くなり、山下がマネージャーを辞任。山下の甥っ子・柴本タケシが新マネージャーに就任。スズ子、アメリカツアーへ。
1951年(昭和26年)=スズ子36歳、愛子4歳…梅吉が亡くなる【第23週〜】
がんで闘病していた梅吉が亡くなる。羽鳥善一の作曲二千曲記念パーティ開催。
1955年(昭和30年)=スズ子40歳、愛子8歳…愛子誘拐未遂事件【第24週〜】
近所の男・小田島から愛子を誘拐するという脅迫を受ける。
1956年(昭和31年)=スズ子41歳、愛子9歳…男女歌合戦で水城アユミと共演【第25週〜】
丸の内テレビジョンの年末番組「男女歌合戦」に大トリで出演。大和礼子の娘・水城アユミと共演。
モデル・笠置シヅ子の年表
・1914年(大正3年)…香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)で出生、養母の亀井うめに連れられて大阪へ。
・1927年(昭和2年)【12歳】…大阪で尋常小学校を卒業。松竹楽劇部生徒養成所に合格。三笠静子の芸名でデビュー。
・1932年(昭和7年)【17歳】…「春のおどり」でポンポーサー役を演じ、人気に。
・1933年(昭和8年)【18歳】…松竹楽劇部で団員によるストライキ「桃色争議」が発生。
・1934年(昭和9年)【19歳】…松竹楽劇部が大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に改称。OSSK第一回記念公演「カイエ・ダムール」の主題歌「恋のステップ」を歌い、日本コロムビアからレコードデビュー。
・1935年(昭和10年)【20歳】…芸名を笠置シズ子に改名。
・1937年(昭和12年)【22歳】…日中戦争が勃発。戦争の時代に向かいはじめ、次第に表現活動に制限が加わっていく。
・1938年(昭和13年)【23歳】…帝国劇場で旗揚げした松竹楽劇団(SGD)に参加、上京。服部良一と出会う。
・1939年(昭和14年)【24歳】…「ラッパと娘」がヒットし「スイングの女王」に。「東宝」移籍(引き抜き)騒動。養母のうめが亡くなる。
・1941年(昭和16年)【26歳】…松竹楽劇団が解散。「笠置シズ子とその楽団」を結成し各地で慰問活動を展開。
・1947年(昭和22年)【32歳】…服部良一作曲「東京ブギウギ」が大ヒット。恋人の吉本穎右が23歳で死去。その直後に穎右との間の娘を出産。
・1949年(昭和24年)【34歳】…服部良一作曲「ホームラン・ブギ」がヒット。映画「銀座カンカン娘」で高峰秀子とW主演。
・1950年(昭和25年)【35歳】…服部良一作曲「買い物ブギー」がヒット。
・1952年(昭和27年)【37歳】…第2回紅白歌合戦に初出場、「買い物ブギー」を歌う。通算で計4回紅白に出演。
・1957年(昭和32年)【42歳】…歌手廃業を宣言。芸名を笠置シヅ子とし、俳優活動に専念。
・1985年(昭和60年)【70歳】…卵巣がんのため、東京で亡くなる。