NHK連続テレビ小説「ブギウギ」では、ヒロインのスズ子と交友を深めていたものの途中でドラマから退場し、行方不明になってしまっている人物が複数存在します。
この記事では、ドラマ中盤以降で姿を消した登場人物のその後の消息や、今後の再登場の可能性などをまとめます。
【追記】この記事はドラマ中盤に書かれたものです。最終回では桜庭、小村夫妻、小夜、ゴンベエらこの記事に書かれたメンバーの多くの消息が判明しています。
スズ子の父・花田梅吉 … 香川に帰郷→繊維工場→写真屋
「一体どこに消えたの?」という視聴者の声が一番多く見られたのが、スズ子の育ての父・花田梅吉(柳葉敏郎)でしょう。
梅吉は愛妻のツヤ(水川あさみ)を亡くした後にやさぐれてしまうと、それを心配したスズ子が東京の下宿先に呼び寄せ、しばらくの間父娘での共同生活をしています(第9週〜)。
東京で息子の六郎(黒崎煌代)の戦死の報を受けた梅吉はますます生活が荒れてしまいますが、やがて郷里香川の幼馴染「ヒデ坊」が営む繊維工場を手伝うために帰郷をしています(第10週・昭和16年)。その後、スズ子が妊娠しようが結婚に悩もうが梅吉の名前は一切劇中に登場せず、視聴者の間では「親子の縁が切れたの?」などと心配や不満の声があがっていました。
【第19週で再登場】
梅吉が画面から消えて6年後。第19週・第89回(2月7日放送)において、梅吉が久しぶりに登場しています。恐らくスズ子との手紙のやり取りは続けていたのでしょう、梅吉は孫娘の愛子の顔を見るために上京し、スズ子と再会を果たしています。6年前に繊維工場を手伝うと言って帰郷した梅吉ですが、いつの間にか町の写真屋さんに転身。七五三の時には大繁盛しているとのことで、羽振りは良さそうです。
スズ子のモデル・笠置シヅ子は戦後の1949年(昭和24年)に生まれ故郷の香川で凱旋公演を行っており、「ブギウギ」でもスズ子の故郷凱旋公演を熱烈歓迎する梅吉の姿が描かれるかも知れません。
スズ子の付き人・小夜 … サムと結婚し渡米→消息不明
飛び入りでスズ子に弟子入り志願をし、その後にスズ子の付き人になった福島出身の女性・小夜(富田望生)。
戦前から戦後にかけてスズ子と家族のように過ごした小夜でしたが、やがて自身に歌手としての才能がないことを悟ると、戦後に宝くじ売り場で出会った米国兵・サム(ジャック・ケネディ)と結婚して渡米をしています(第16週・昭和21年)。
その後、スズ子の口から小夜のことが語られることはなく消息は不明です。
【再登場の可能性あり】
恐らくアメリカに渡りサムと幸せに暮らしているであろう小夜(※小夜はモデルに相当する人物がおらず、ドラマオリジナルキャラと考えられます)。
史実では1950年(昭和25年)に笠置シヅ子が服部良一らとともにアメリカ公演を行っており、もしこの渡米エピソードが「ブギウギ」でも描かれるのであれば、小夜が再登場する可能性が考えられます。
USKメンバー … 秋山とリリーはトップに、桜庭は退団
今も大阪に残るスズ子のUSK(梅丸少女歌劇団)時代の仲間たち。スズ子は戦時中の1943年(昭和18年)に「福来スズ子とその楽団」の神戸公演を行った後に、大阪のはな湯とUSKに立ち寄り、リリー白川(清水くるみ)、桜庭和希(片山友希)、秋山美月(伊原六花)、林部長(橋本じゅん)ら懐かしい仲間たちと再会しています(第11週)。
その後、戦後の1946年(昭和21年)には秋山が東京のスズ子のもとを訪ね、戦火の中でUSKメンバーが無事に生き延びたことを報告しています(第16週)。
秋山によれば、戦時中にはUSKメンバーの多くが挺身隊として内地での慰問活動を行っていたとか。その後、桜庭は空襲で母を亡くし実家の畳屋を手伝うために退団。USKは林部長を中心に戦後も奮闘し、秋山が男役トップ、リリーが娘役トップに君臨しているとのこと。
【再登場の可能性あり】
笠置シヅ子は戦後にNHK大阪放送局のラジオ番組や、大阪梅田コマ劇場の舞台などに多数出演。1973年(昭和48年)には古巣OSSK(USKのモデル)の「創立50周年記念祭典」にOGとして出演しています。「ブギウギ」後半戦でスズ子のUSK凱旋や大阪の懐かしい人たちとの再会が描かれるかも知れません。
※第20週の出演者欄に伊原六花、清水くるみの名前あり。
「はな湯」の人たち … ゴンベエ夫妻が経営継承 → 戦後の消息は不明
ツヤが亡くなって経営不振に陥ったこともあり、花田家からゴンベエ夫妻(宇野祥平、本上まなみ)に経営が譲渡された大阪の銭湯「はな湯」。戦時中の1943年(昭和18年)にはスズ子が神戸公演を行った後に「はな湯」に立ち寄り、懐かしい常連客たちと再会をしています(第11週)。
この時、ゴンベエ・光子夫妻には赤ちゃんが生まれ、アホのおっちゃん(岡部たかし)とアサ(楠見薫)は結婚し、キヨ(三谷昌登)は独身のまま。熱々先生(妹尾和夫)はポックリと亡くなったそうですが、「はな湯」は相変わらず繁盛をしていました。
その後、1944年(昭和19年)の時点でスズ子が愛助に対し「大阪も大きな空襲があったんやろ、はな湯もUSKの仲間もどないなったんかわからへん」と発言しており(第13週)、「はな湯」の戦後の安否は不明のようです。
※「はな湯」をゴンベエに譲渡する際に梅吉は「社長はワシやぞ」と発言しています(第40回)。もしこの発言が守られていれば、梅吉は社長として「はな湯」と連絡を取っているはずですが…。
下宿先(人形町)の小村チズ・吾郎夫妻 … 戦後の消息は不明
スズ子が上京後に長年お世話になっていた下宿先の主人、小村チズ(ふせえり)吾郎(隈本晃俊)夫妻。
1944年(昭和19年)にスズ子が愛助と暮らすために東京郊外の三鷹に引っ越すことになると、スズ子はチズと吾郎に丁寧にお礼を伝えた上で、下宿を去っています(第13週)。
下宿を去る際にチズは「いつでも遊びに来て」「約束だよ」とスズ子に念を押し、スズ子も「また遊びに来ますね!」と答えていましたが、その後は戦火の中で疎遠に。
第19週では、上京してきた梅吉に対してスズ子が「チズさんと吾郎さんも行方知れずや」と語っています(昭和22年時点)。
【再登場の可能性あり】
スズ子が下宿していた小村家の住所は「東京市日本橋区人形町4丁目」(愛助がくれた手紙に住所表記あり)。東京都中央区が公表している「空襲被害地図」を見ると、大きな空襲被害を受けた旧日本橋区のうち、人形町のあたりは空襲被害を受けなかった空白地域となっています。
別れ際にチズとスズ子が「約束だよ」と再会を誓い合っていますので、無事に生き延びた小村夫婦との再会が実現するのではないかと予想します。
親友・タイ子 … 結婚して妊娠→東京に移住
スズ子の幼少期からの親友である芸者の娘・タイ子(藤間爽子)。
その後タイ子は母と同じ芸者の道に進むと、東京から通ってくれたという旦那と結婚。ツヤの葬儀(昭和14年)の際には妊娠中だったタイ子が顔を出してくれています(第8週)。その際、タイ子は「この子が生まれたらウチも東京に行く予定やから、また遊んでな」とスズ子に語っています。
【第19週で再登場予定】
第19週、第20週の出演者欄に藤間爽子の名前があります。スズ子は靴磨きの少年・達彦を介してタイ子と再会を果たすようです。もしかしたら達彦はタイ子の息子なのでは…?そんな考察を下記記事にまとめています。
おでん屋台の伝蔵 … 戦時中に閉店→消息不明
スズ子や梅吉らが足繁く通った東京のおでん屋台の店主・伝蔵(坂田聡)。
第12週、1943年(昭和18年)頃に物資の高騰・不足を受けて「もう限界だ、今日で店じまいだ」と語って以降、伝蔵の消息は不明になっています。
第19週では、久しぶりに上京してきた梅吉に対しスズ子が「屋台のおっちゃんは戦争中に店を閉めた」と語っています。
道頓堀の洋食屋 コックとハット … 夜逃げ→消息不明
スズ子がUSK時代に仲間たちと通った大阪・道頓堀の洋食屋の兄ちゃん、コック(後藤淳平)とハット(福徳秀介)。
その後、コックとハットが夜逃げをし、店がもぬけの殻になっていたことが林部長の口から語られています(第11週・昭和18年時点)。その後の二人の消息は不明です。
香川の祖母・トシ、実母・キヌ … 消息不明?
第4週で登場した、スズ子の祖母・大西トシ(三林京子)、実母・西野キヌ(中越典子)、実祖父・次郎丸和一(石倉三郎)ら。スズ子は第4週で自身のルーツとなる香川を訪ねて以降、香川で起きた出来事を誰にも語らないままです。
史実でも笠置シヅ子は17歳の時に親戚の葬儀という名目で生まれ故郷の香川を訪ね、実母・谷口鳴尾(+異父弟)と初対面。自身の出生の秘密を知っています。
シヅ子にとって鳴尾との初対面はあまり良いものではなかったようで、香川での出来事は養父母である亀井音吉・うめに一切語らず、生涯胸にしまって生きたそうです。
【再登場の可能性は低い?】
スズ子のモデル・笠置シヅ子は戦後の1949年(昭和24年)に生まれ故郷の香川で凱旋公演を行っています。
「ブギウギ」でこのエピソードが描かれることがあれば、父の梅吉、叔母のタカ(西村亜矢子)が出迎える可能性はありますが、実母・キヌの再登場はないと予想しています。
その他消息不明者たち
▷喜劇王・タナケン(生瀬勝久)
▷演出家・松永大星(新納慎也)
▷梅丸社長・大熊熊五郎(升毅)
▷梅丸楽劇団制作部長・辛島部長(安井順平)
▷元USKピアニスト・股野義夫(森永悠希)
▷元マネージャー・五木ひろき(村上新悟)
▷トランペット奏者・一井(陰山泰)
▷元USKトップスター・橘アオイ(翼和希)