NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で、ブギの女王として活躍を見せていくことになるヒロインの花田鈴子(趣里)。その芸名が「福来スズ子(ふくらい・すずこ)」であることが判明しています。
モデル人物である笠置シヅ子(三笠静子、笠置シズ子)の簡単な略歴や芸名の変遷などをまとめます。
【ブギウギ】「福来スズ子」としてスター街道に
▼歌手・福来スズ子の傑作集。演じている趣里は「やっぱり伊藤蘭(キャンディーズ・ランちゃん)の娘なんだなあ」と思わせる瞬間が随所に見られています。
ヒロインの花田鈴子(はなだ・すずこ)は、香川生まれの大阪・福島育ち。
鈴子は大阪下町の銭湯「はな湯」の看板娘として明るい子に育つと、大好きだった歌と踊りを銭湯の常連客たちの前で披露するようになります。もっと人を喜ばせたい!そう考えるようになった鈴子は、道頓堀の人気歌劇団「梅丸少女歌劇団(USK)」に入団することになります。
鈴子は「水の滴」役として舞台デビューすることが決定すると、母のシズ(水川あさみ)の発案で「福来スズ子(ふくらい・すずこ)」という芸名を名乗ることになります。
この名前は花田家ならびに「はな湯」にいつも笑顔をもたらしてくれる鈴子をイメージしたもので、「笑う門には福来る」からとったものだとか。
※USK同期の白川幸子は「リリー白川」、桜庭辰美は「桜庭和希」という芸名を与えられ、仲良しの同期3人がそろって「水の滴」役で舞台デビューすることになります。
鈴子はUSKで実力を積み重ねた後に、東京で旗揚げされた梅丸楽劇団に参加。そこで演出家の松永大星(新納慎也)に見出されると、ジャズを得意とする作曲家・羽鳥善一(草彅剛)を紹介されることになります。
羽鳥善一との出会いにより、ジャズを歌うようになった「福来スズ子」。私生活では母や恋人を早くに亡くし、戦争の時代にも苦労を重ねますが、戦後に羽鳥善一とのコンビで「東京ブギウギ」をヒットさせると、ブギの女王として一躍スターダムを駆け上がっていきます。
大阪の小さな銭湯の看板娘だった少女・花田鈴子は、偶像「福来スズ子」となり、日本中の人たちを楽しませていくのです。
モデルは「ブギの女王」笠置シズ子 戦後日本を照らしたスーパースター
▼今後のあらすじを読むと、かなり面白い展開がありそうです。USK時代のスズ子が憧れた「あの人」の娘がまさかの天才少女として登場し…。
福来スズ子のモデルになっているのは、「ブギの女王」として戦後の日本で国民的なスターとなった歌手・笠置シヅ子/シズ子です。
★笠置シヅ子の芸名変遷
・本名:亀井静子
・芸名①:三笠静子(松竹楽劇部時代〜)
・芸名②:笠置シズ子(OSSK〜歌手全盛時代)
・芸名③:笠置シヅ子(女優時代)
「笠置シズ子」「笠置シヅ子」は混用されがちです。一般的には最終的な芸名とされる「笠置シヅ子」で表記されることが多いですね。
松竹楽劇部で「三笠静子」としてキャリアスタート
1914年(大正3年)に香川で生まれ、訳あって大阪福島の米屋・亀井音吉、うめ夫婦の養子となった笠置シヅ子(本名:亀井静子=かめい・しずこ)。
養母のうめは病弱気味だった静子が生きていくために芸事を身に着けさせたいと考え、日本舞踊の先生のもとに連れて行ったりしていたそうです。
音吉とうめが転業により銭湯を営むようになると、静子は脱衣場を舞台にして歌や踊りを披露し、浴客たちを喜ばせていきます。こうした環境の中で、もともと筋が良かった静子は次第に芸の道へと目覚めていきます。
1927年(昭和2年)、小学校を卒業した静子は松竹楽劇部生徒養成所に飛び入りにより入団を許されると、三笠静子(みかさ・しずこ)の芸名を名乗って舞台に立ち始めています。
松竹楽劇部は日舞をベースとした「春のおどり」や宝塚少女歌劇団のフランス風レビューに影響を受けた洋舞を取り入れるなど独自のスタイルを確立し、人気歌劇団として大阪に定着していました。
※当初は宝塚少女歌劇を受験し、試験自体は難なくパスしたという静子。しかし小柄であったことから体格検査でハネられてしまい、その後に道頓堀の松竹楽劇部に飛び込みで入団を直訴しています。こうした経緯もあり、静子は「お嬢様」の雰囲気があった宝塚を「なんやえらそうに納まって!」と癪に感じていたようです。
※「三笠」という芸名は近所の「物知りの人」が付けてくれたそうです。三笠といえば奈良にある三笠山(御蓋山)などで知られ、古来から歌枕として名高いですね。大日本帝国海軍の戦艦「三笠」の名も、三笠山(御蓋山)から。
当初は舞踊専科に配属された静子ですが、身体が小さかったこともあり楽劇部の音楽部長・松本四郎に声楽への転向を直訴。これにより静子は、もとより素養があった日本舞踊に加え、独学による歌を武器にするようになっていきます。
やがて1933年(昭和8年)に楽団員による大規模なストライキ「桃色争議」が勃発すると、その責任を取る形でトップスターだった飛鳥明子が退団、引退。
これに伴い松竹楽劇部は心機一転を図るために大阪松竹少女歌劇団(OSSK)と改称され、柏晴江(後の柏ハルエ)、美鈴あさ子(後のアーサァ美鈴)、そして三笠静子といった新世代のトップスターが台頭しています。歌に強みがあったライバル歌劇団・宝塚に対し、OSSKは名物のラインダンスなど華やかな踊りで観客たちを魅了していきます。
1935年(昭和10年)には皇族に「三笠宮家」が誕生したこともあり、三笠静子は芸名を笠置シズ子(かさぎ・しずこ)に変更しています。
※この「笠置」という芸名は、京都府の笠置山からとったものではないかと思います。笠置山は明治時代の大日本帝国海軍の防護巡洋艦「笠置」の名前の由来にもなっています。
歌手「笠置シズ子」として国民的スターに
1938年(昭和13年)、東京の帝国劇場で旗揚げした松竹楽劇団に参加した笠置シズ子はそこで同じ大阪の庶民出身だった作曲家の服部良一(ドラマでは羽鳥善一として登場)と出会い、ジャズ歌手としての道を歩み始めます。戦時中は「笠置シズ子とその楽団」として各地で慰問活動を展開しています。
そして迎えた戦後。戦前に出会った恋人・吉本穎右を病気で亡くし失意の中にあったシズ子(穎右死去との直後に彼との子・エイ子を出産)でしたが、服部良一とのコンビにより、新しい道を開いていきます。
シズ子は服部良一が作曲した「東京ブギウギ」を大ヒットさせると、美空ひばり登場以前の国民的歌手として歌謡界に君臨。※そもそもその美空ひばり自体が、当初はスーパースター・笠置シズ子のモノマネ歌手として人気になっています。
シズ子の躍動感あふれる歌声と目まぐるしく動く表情、歌劇団仕込みの持ち前のダンスパフォーマンス、さらには大阪人らしいサービス精神あふれる観客との掛け合いなどは、直立不動が当たり前だった当時の歌手のステージスタイルに革命を起こしています。
続く「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「買物ブギー」などのヒット曲にも恵まれたシズ子。いつしか世間から「ブギの女王」と呼ばれるようになり、敗戦国日本を明るく照らすスーパースターになっています。
シズ子の曲の大半を手掛け、出演舞台や映画音楽などでも作曲や指揮を務めた続けた「総合音楽監督」服部良一とのゴールデンコンビにより、シズ子は日本のショービジネスの世界に大きな足跡を残しました。
また、喜劇王・エノケンとの共演により役者としての才能も開花。シズ子はエノケンと数々の舞台、映画で共演し、「女エノケン」の異名をとるまでになります。
シズ子は、黎明期のNHK紅白歌合戦に4度の出場を果たしたほか、代表作となった1949年(昭和24年)の映画「銀座カンカン娘」では国民的人気を誇った女優・高峰秀子と共演。高峰秀子が歌った映画の主題歌「銀座カンカン娘」をシズ子も劇中で歌っており、ここでもスター歌手としての貫禄を見せています。
女優「笠置シヅ子」に転身
昭和30年代以降はブギの人気が下火になったこともあり、シズ子はあっさりと歌手業を廃業。歌手としての栄光をすっぱりと捨て去るように芸名を笠置シヅ子(かさぎ・しづこ)表記に変更すると、女優として第二の芸能人生を歩み始めています。
女優として笠置シヅ子は、ドラマ「台風家族」(1960〜1964年)、「二人の星」(1965〜1966年)「白い巨塔」(1967年)、映画「愛と死をみつめて」(1964年)、「蝶々雄二の夫婦善哉」(1965年)、「落語野郎」シリーズ(1966年〜)、「おくさまは18歳 新婚教室」(1971年)など数多くの映像作品に出演しています。
吉本せいの息子・吉本穎右と熱愛、妊娠、死別
私生活では戦後すぐに吉本興業創業者・吉本せい(朝ドラ「わろてんか」ヒロインのモデル)の息子・吉本穎右(よしもと・えいすけ。ドラマでは村山愛助として登場)と出会って熱愛し、妊娠をしています。
シズ子は9歳下だった吉本穎右との結婚を望みましたが、息子を自身の後継者にしたかった吉本せいは二人の結婚を認めませんでした。
結局、幼少期から病弱だった吉本穎右は、シズ子が女児を出産する直前の1947年(昭和22年)に23歳の若さで急逝。シズ子は未婚のシングルマザーとして娘を育て、吉本穎右への思いを胸に生涯独身を貫いたそうです。
この当時、シズ子は「ブギの女王」として絶頂期にありました。乳飲み子を抱えてステージに立つシズ子の姿は多くの女性に感銘を与え、特に生活苦から売春をしていた「パンパン」と呼ばれた女性ら(特に有楽町界隈のラクチョウの女たち)から絶大な支持を集めたそうです。
朝ドラ「ブギウギ」でも、笠置シヅ子の人生をモチーフに花田鈴子、福来スズ子の半生が描かれていきます。
劇中では大和礼子(モデルは飛鳥明子か)、秋山美月(モデルは秋月恵美子)、羽鳥善一(モデルは服部良一)、村山愛助(モデルは吉本穎右)ら実在の人物を参考にした登場人物が続々と登場。戦前から戦後にかけて花開いた大阪のショービジネス文化や、敗戦後の日本を明るく照らしたブギの流行などが、丁寧かつ華やかに描かれていきます。
オーディションにより選ばれた主演の趣里(水谷豊と伊藤蘭の娘)は、4歳から井上バレエ団でクラシックバレエを習い始め、本気でバレリーナを目指したという経歴を持ちます。劇中で披露されるダンスショーや歌手のステージなどを通して、趣里のエンターテイナーとしての実力が発揮されそうです。「キャンディーズ」のセンターとして活躍した母・伊藤蘭(ランちゃん)の面影を感じるようなステージを見せてくれるかも知れませんね。
\📢放送前PR動画公開!/#趣里 さん演じるヒロインの、歌手・福来スズ子の笑いと涙の物語がはじまります!#ブギウギ💃
— 朝ドラ「ブギウギ」10月2日スタート (@asadora_bk_nhk) September 15, 2023
10月2日(月)放送スタート!
楽しい音楽、華やかな舞台、その裏側にあるズキズキワクワクな日々✨
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