「らんまん」根津の菓子屋「白梅堂」のモデルは飯田町「小沢」 富太郎が愛した本郷「梅月」の要素も?

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NHK連続テレビ小説「らんまん」に登場する東京根津の菓子屋・白梅堂(はくばいどう)。この菓子屋は牧野富太郎が愛した東京・飯田町の菓子屋「小沢」モデルになっていると考えられます。

この記事では、白梅堂というお店の特徴をまとめるとともに、そのモデルとなった実在の店舗をご紹介します。また、東京大学の近くにあったという富太郎お気に入りの菓子屋もあわせてご紹介します。

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目次

根津の菓子屋・白梅堂 職人自慢の銘菓が並ぶ

白梅堂(はくばいどう)は、東京の下町・根津にある小さな和菓子屋さん。内国勧業博覧会が開催された上野、それに万太郎が通うことになる本郷の東京大学に近いこともあり、万太郎は白梅堂の娘・寿恵子(浜辺美波)と出会い、運命の恋に落ちていきます。

白梅堂を営むのは、寿恵子の母・西村まつ(牧瀬里穂)。もともと東京随一の花街・柳橋で売れっ子の芸者をしていたまつは、そこで彦根藩の武士だった裕福な男性に見初められて妾となり、長女の寿恵子を出産しています。

この男性が若くして亡くなると、まつは本妻からの気遣いもあり手切れ金を渡された上で家を出て、そのお金で根津に白梅堂を開店させています。

白梅堂の味は、もともと柳橋の菓子屋にいたという寡黙な職人・阿部文太(池内万作)が生み出しています。

カウンター上に掲げられたお品書き(メニュー)によれば、白梅堂の主な銘菓は「初富士、うぐいす、さくら餅、菖蒲、青楓、涼風、水羊羹、名月、初霜」など。その日に作られたものだけが店頭の木箱に並べられ、小さな店舗に色とりどりの菓子の花が咲きます。
※万太郎と寿恵子の出会いの場となった内国勧業博覧会の屋台では「かるやき、まんじゅう、練り切り、らくがん」などの安価なお菓子が売られていました。

これに加え、寿恵子のたっての希望により万太郎の好物である「かるやき / 軽焼」(文太は当初、かるやきは駄菓子だと言って店に置きたがらなかった)が店頭に並ぶようになり、万太郎の植物画に触発された文太が「牡丹」を試作するなど、臨機応変に新メニューを加えているようです。

万太郎は上京して根津の十徳長屋で暮らすようになると、たまたま近所にあった白梅堂で寿恵子と再会。白梅堂の常連客となり、寿恵子との仲を深めていきます。

▼NHKによる「らんまん」の公式ガイドブックには、白梅堂の店舗セットへのこだわりが語られています。西村家の居間と店舗を仕切るピンク色の漆喰壁には来客がすぐわかるようにする「ハート型」の窓があり、万太郎と寿恵子の恋の舞台であることを示唆しています。

モデルは飯田町の菓子屋「小沢」 大の甘党だった富太郎

万太郎のモデル・牧野富太郎は22歳だった1884年(明治17年)、植物学の道に進むことを決意して高知から上京。矢田部良吉教授の許可を得て、東京大学の植物学教室に出入りするようになっています。

当時麹町三番町(飯田町とも)に部屋を間借りしていた富太郎は、本郷の東京大学に向かう途中の飯田町にあった菓子屋「小沢」の前をいつも通っていました。富太郎は下戸の甘党だったこともあり、その菓子屋で茶菓子を買うのが毎日の楽しみだったそうです。

この菓子屋の店頭にしばしば立っていたのが、女店主の娘・小沢壽衛子でした。富太郎は壽衛子のことをすっかり気に入り、当時印刷技術の習得のためにお世話になっていた神田の印刷所の主人に仲を取り持ってもらい、壽衛子との結婚にこぎつけています。

飯田町と根津という場所の違いはありますが、「らんまん」に登場する白梅堂は、この小沢という店がモデルになっていると考えられます。小沢という店はすでに廃業しており、現存していません。

【追記】ドラマでは夫婦の純愛物語として美談で語られていますが、実際には牧野富太郎は20歳でいとこの猶(槙野綾のモデル)と結婚し、既婚者でありながら上京後に当時14歳だった壽衛子に手を出したともされます。

※牧瀬里穂が演じる「西村まつ」は、牧野富太郎の妻・壽衛子の母がモデル。京都出身だった壽衛子の母は、元彦根藩主井伊家の臣で陸軍営繕部に勤務していた小沢一政との間に何人かの子供を生んでいます。壽衛子は末っ子で、裕福な家庭環境で不自由なく育ったそうです。その後、小沢一政が早くに亡くなると邸宅も売り出し財産も失ったため、未亡人となった壽衛子の母は子供たちを引き連れて飯田町に小さな菓子屋「小沢」を開業しています。

※この「小沢」という店名は多くの書籍では言及されていないようですが、「牧野富太郎 植物博士の人生図鑑」(コロナ・ブックス)という本に和菓子屋「小沢」の名が登場しています。

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本郷春木町の菓子屋「梅月」も愛した富太郎

そしてもう一つ、牧野富太郎が愛した和菓子店が東京大学のお膝元、本郷の街にありました。

甘党だった富太郎は、大学近くの本郷春木町にあった菓子屋「梅月」が大のお気に入りだったそうです。

富太郎は植物学教室で親友になった学生・池野成一郎を連れてたびたび梅月に通い、「ドウラン(胴乱)」と呼ばれる栗饅頭式のお菓子を購入。煙草入れの胴乱(胴籃)に似た形をしていたという「ドウラン」の味を楽しんだとのこと。

「らんまん」に登場する「白梅堂」は前述した飯田町の「小沢」がモデルとなっていますが、牧野富太郎が愛した本郷春木町の「梅月」の要素もいくらか取り入れられているかも知れません。もしかしたら「白梅堂」という店名はこの「梅月」から一文字を取った可能性も…?

※かつて「本郷春木町」と呼ばれた界隈(現在の本郷3丁目付近)には、最近まで「梅月」(文京区本郷3-16-9)という名の古い和菓子屋がありました(食べログに掲載保留中の店舗「梅月」あり)。あくまで食べログの書き込み情報ですが、この「梅月」は「創業自体は大正元年だが、震災で池袋に移店後、昭和30年に再びこちら(本郷)へ居を構えた」と書かれていますので、富太郎が明治時代に通った「梅月」とは別店舗なのかも知れません。

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