「らんまん」植物学者・伊藤孝光(落合モトキ) モデルの伊藤篤太郎は「破門草事件」の当事者

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NHK連続テレビ小説「らんまん」に登場する若き植物学者・伊藤孝光(いとう・たかみつ)についてまとめます。

この伊藤孝光という人物は、植物学教室の矢田部良吉教授とトラブルになり「破門草事件」を巻き起こした在野の植物学者・伊藤篤太郎(いとう・とくたろう)がモデルになっている考えられます。

演じるのは子役出身の俳優・落合モトキです。

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目次

若き植物学者・伊藤孝光 田邊教授と「トガクシソウ」を巡ってもめる?

「らんまん」に登場する伊藤孝光は、江戸時代の伝説的本草学者・伊藤圭介の孫にあたる人物。祖父の影響を受け、孝光も植物学者の道を歩み始めています。

※「本草学」は中国や東アジアで発祥・発展した薬物や医薬に関する学門です。現在の自然科学的な植物学とはアプローチが違い、あくまで薬用の観点から植物や動物、鉱物などを研究した学問です。本草学は日本では江戸時代に全盛をきわめ、日本に自生する植物や動物などの研究が盛んに行われました。貝原益軒、平賀源内、小野蘭山らが本草学者として有名ですね。

万太郎(神木隆之介)はある日、尊敬する植物学者・里中芳生(いとうせいこう)にとある相談をもちかけると、そこで偶然に居合わせた若き植物学者・伊藤孝光と出会うことになります。

万太郎は、孝光があのシーボルトの助手を務めた伊藤圭介の孫だと知ると大興奮。グイグイと孝光に話しかける万太郎ですが、その話題の中で田邊教授が発見した「トガクシソウ」について触れると、なぜか孝光は田邊のことを「泥棒教授」と罵ると、怒って部屋を出て行ってしまい…。

後述するように、この伊藤孝光という人物は「トガクシショウマ(トガクシソウ)」の命名を巡り東京大学植物学教室の矢田部教授とひと悶着あった植物学者・伊藤篤太郎(いとう・とくたろう)がモデルになっていると考えられます。

落合モトキ(おちあい・もとき)…東京都出身の32歳の俳優。子役出身で、「やっぱりさんま大先生」にレギュラー出演をしていたほか、「新・愛の嵐」「楽園のつくりかた」など数々のドラマに出演。近年はドラマ「群青領域」「僕の大好きな妻!」「ぴーすおぶけーき」などに出演し、大人の俳優として活躍を見せている。同じく子役出身で旧知の仲である神木隆之介とは2022年のWOWOWプライムドラマ「神木隆之介の撮休」などで共演。NHK朝ドラは「こころ」(2003年)のほか、現在再放送中の「あまちゃん」(2013年)では観光協会長・菅原保(吹越満)の若き日の役で出演。

モデル人物 植物学者・伊藤篤太郎とは

モデル人物と考えられる伊藤篤太郎(いとう・とくたろう)は、江戸末期の慶応元年(1865年)に尾張国、現在の名古屋地方で生まれています。祖父は江戸時代に本草学者として名を成した伊藤圭介で、篤太郎も早くから東京の祖父のもとで植物学を学んでいます。

東京大学医学部予科に進学したものの病気で退学してしまった篤太郎は、その後私費で英国に留学。ケンブリッジ大学で最新の植物生理学、植物解剖学を修めるとともに、余暇にはキュー王立植物園内植物学研究所で同園総長ジョセフ・フッカーらの指導のもと植物分類学を研究しています。

帰国後には愛知県愛知郡尋常中学などに勤務しながら、在野の植物学者として活動を続けています。

トガクシソウをめぐる「破門草事件」

1883年(明治16年)、篤太郎は叔父が長野の戸隠山で発見・採集した「トガクシショウマ(トガクシソウ)」の標本をロシアのマキシモヴィッチ博士に送ると、1886年(明治19年)にはこれが篤太郎の名前でロシアの学術誌に掲載されています。

それから少し後、1887年(明治20年)には東京大学植物学教室の矢田部良吉教授(「らんまん」田邊教授のモデル)が同じく戸隠山で発見・採集し小石川植物園に植えていた「トガクシショウマ」をマキシモヴィッチ博士に送っています。

翌年、矢田部教授はマキシモヴィッチ博士から「本種はメギ科の新属であると考えられ、Yatabea japonica Maxim. という学名をつけたい。それにあたり、確認のために追加で花の標本を送ってほしい」という手紙を受け取っています。

当時、伊藤篤太郎は牧野富太郎と同様に在野の研究者でありながら東京大学植物学教室への出入りを許されていました。

篤太郎は教室所属の大久保三郎助教授(「らんまん」大窪助手のモデル)からこの手紙の内容を知ると、自分が先に雑誌で発表した「トガクシショウマ」に「Yatabea」という学名が付いてしまいそうな流れに焦ったようです。

大久保助教授は篤太郎に対し先に名を付けたりしないように念を押したそうですが、1888年(明治21年)に篤太郎はイギリスの植物雑誌「ジャーナル・オブ・ボタニイ」に新属 Ranzania T.Itô を提唱した上で「Ranzania japonica (T.Itô ex Maxim.) T.Itô =ランザニア・ジャポニカ」という学名を付してこの植物を公表。※「Ranzania」は江戸時代の本草学者・小野蘭山に献名したもの。

こうして伊藤篤太郎の発表が先に出てしまったため、マキシモヴィッチ博士と矢田部教授が推し進めていた「Yatabea japonica Maxim.」という学名は無効になってしまいます。

矢田部教授と大久保助教授は、この伊藤篤太郎の行為に激怒。矢田部教授は伊藤篤太郎を「破門」とし、教室への一切の出入りを禁止してしまいます。こうしてトガクシソウは「破門草」と密かに呼ばれるようになり、一連のトラブルは「破門草事件」と呼ばれたとか。

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その後の伊藤篤太郎 南西諸島の植物を集めて歩く

その後、篤太郎は明治27年(1896年)に鹿児島高等中学造士館に赴任して博物学、英語、ラテン語を教える傍ら、南西諸島の植物に興味を持ち沖縄、奄美などの島々に渡り植物を採集。明治30年(1899年)にはその集大成として松村任三との共著の欧文論文「琉球植物誌」を発表しています。

続いて愛知県第一中学などで教鞭を執りながら教科書の編集や論文の執筆にあたり、大正10年(1921年)に東北帝国大学に生物学科が新設されるとその講師となり、昭和3年(1928年)まで務めています。

退職後は東京に移り住み、日本の生物学史や祖父・圭介の事績の調査に専念。宇田川榕菴の「菩多尼訶経」の復刻に尽力し、博物会の雑誌「多識会誌」の編集も担当するなど、祖父が身を投じた本草学を継承するような仕事も成し遂げています。

牧野富太郎とは少し違う道を歩むことになる伊藤篤太郎ですが、在野の植物学者から出発して矢田部教授と出会って決別、その後も研究の道を歩み続けた点では相通ずるところがある人物と言えそうです。

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