NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公・槙野万太郎と、そのモデルとなっている牧野富太郎の家系図と家族構成などをまとめます。
ドラマでは牧野富太郎の生家の家族構成をおおむね踏襲しつつ、少しだけアレンジも加えられています。ドラマと史実との家族構成の違いなども比較してみます。
【らんまん】万太郎の家系図、家族構成
旧家の当主という宿命を背負う万太郎
まずは「らんまん」の主人公・槙野万太郎(まきの・まんたろう)の家族構成、家系図を見ていきましょう。
万太郎は幕末の土佐・佐川町生まれ。生家の槙野家(本家)は酒蔵「峰屋」を営む旧家で、家には番頭や女中、蔵人などたくさんの人が出入りしています。万太郎は姉・綾との二人兄弟です。
槙野家の家族構成のポイントは以下の通り。
・万太郎は父・嘉平を早くに亡くし、母のヒサも病弱。祖母のタキにより跡取りとして厳しく育てられる。
・ヒサは病弱で家を手伝えないこと、万太郎を病弱に生んだことを槙野家の嫁として申し訳なく感じていた。
・早くに夫と息子夫婦を失ったタキは番頭と力を合わせ、万太郎が成長していくまでの間、峰屋を切り盛りしていくことに。
・万太郎は5歳で牧野家の当主になるという宿命を背負う。
・姉の綾は万太郎の3歳上。綾は万太郎の従姉にあたる人物で、両親が早くに亡くなったためにヒサの娘、万太郎の姉として育てられている。
・槙野家(本家)は分家筋との折り合いが悪い。
・万太郎と寿恵子の間には長女・園子(夭折)、次女・千歳、長男・百喜、次男・大喜、末娘・千鶴の5人が誕生する。
東京下町の菓子屋の娘・寿恵子
後に万太郎の妻となる西村寿恵子(にしむら・すえこ)の生い立ちや家族構成のポイントもまとめておきます。
・寿恵子は東京の下町・根津にある菓子屋「白梅堂」の娘。
・母のまつは彦根藩の上級武士の妾となり寿恵子を生むが、この旦那が早くに亡くなったために家を出て、根津で菓子屋を開いている。
・まつはもともと柳橋(現在の東京都台東区)で有名な芸者「吉也」だった。
・まつの妹のみえは新橋で料理屋「巳佐登(みさと)」を営んでいる。仕事柄要人とのコネが豊富で、姪っ子の寿恵子を玉の輿に乗せようと世話焼きをする。
若くして未亡人となった母と二人三脚で生きてきた寿恵子。ひょんなことから万太郎に出会うと、二人は運命の恋に突き進んできます。
【モデル】牧野富太郎の家系図、家族構成
佐川の商家「岸屋」の一人息子・牧野富太郎
続いては、主人公のモデルである「日本の植物学の父」牧野富太郎の家系図、家族構成を見ていきましょう。
ドラマ「らんまん」の槙野家(峰屋)は牧野富太郎の生家(岸屋)をモチーフに創作されていきますが、ところどころ設定が変えられています。
牧野富太郎の生家の家族構成のポイントは以下の通り。
・富太郎は高知の佐川町の裕福な商家「岸屋」(酒蔵・小間物屋)に生まれた待望の一人息子。
・富太郎は3歳で父の佐平を、5歳で母の久壽を、6歳で祖父の小左衛門を相次いで亡くし、祖母の浪子によって大切に育てられている。
・岸屋は母久壽の生家であり、父の佐平は親戚から来た婿養子だった。いずれも30代の若さで病死している。
・まだ富太郎が幼かったため、佐平らの死後の岸屋は浪子と番頭の手によって切り盛りされた。
・富太郎の母久壽は祖父の先妻の娘。富太郎の育ての親となった浪子は祖父の再婚相手(後妻)であり、富太郎と血縁関係はない。※「牧野富太郎自叙伝 第二部」に言及あり。
・祖母浪子の死後から数年、富太郎は「岸屋」を番頭の和之助に譲って財産整理をしている。その際、いとこの猶(なお)という女性を和之助と一緒にさせている。※富太郎は当初、猶と結婚をしていたが東京で出会った壽衛子(当時14歳?)に入れ込んだともされる。
・富太郎の娘の鶴代(「らんまん」千鶴のモデル)は富太郎の研究や生活を長年支え、特に壽衛子の死後には富太郎のマネージャー的存在となった。鶴代は富太郎の死後に標本や蔵本の整理と寄贈、東大泉の家の寄贈などの手はずを整えた。
・鶴代の孫にあたる牧野一浡(かずおき)さんは鶴代の遺志を継ぎ、現在は練馬区立牧野記念庭園の学芸員を務めている。
ドラマとの相違点としては、①育ての祖母との血縁の有無、②父が婿養子であること、③いとこの猶→姉の綾という形で登場していること(※後に実姉でないことが明かされる)、などでしょう。細かい設定変更はありますが、大枠では史実の家族構成に近い形でドラマのストーリーが創作されています。
菓子屋の美しい娘・壽衛子
続いて、牧野富太郎の結婚相手である壽衛子(すえこ。壽衛=すえ とも呼ばれる)の生い立ちや家族構成について。
・壽衛子の父は彦根藩主井伊家の家臣だった小沢一政。壽衛子は末っ子。
・壽衛子の母は京都出身で一政に見初められて壽衛子を産むが、一政が早くに亡くなる。
・壽衛子は幼少期には贅沢な暮らしをしていたが、父の死により家と財産を失う。
・子供たちを引き連れて小沢家を出た壽衛子の母は、東京の飯田町で菓子屋「小沢」を営んでいた。
・下宿先から東京大学植物学教室への通り道だったため、富太郎は「小沢」の前をいつも通っていた。
・「小沢」の店頭に立つ美しい娘・壽衛子を富太郎が見初め、知り合いだった印刷所の主人を通じて口説いてもらい結婚に至る。
・ドラマでは3歳差の夫婦だが、実際には11歳の年の差があった。
こちらもほぼ史実に近い形でドラマのストーリーが創作されていきます。
結婚した富太郎と壽衛子の間には毎年のように子供が生まれ、最終的には13人の子が生まれています。しかし、最初に生まれた娘・園子が病死するなどその半分近くが病気などで早世し、一般的には上図のように「三男四女」が富太郎と壽衛子の子として語られることが多いようです。
こうした子沢山の生活と奔放な植物研究生活の果てに、富太郎は実家の財産をほとんど食いつぶしてしまい、一家はあちこちから借金を重ねる貧窮生活に突入。妻の壽衛子も借金返済の交渉に奔走したり、自ら「待合」の商売を立ち上げるなどかなりの苦労をしたようですね。