NHK連続テレビ小説「らんまん」第24週(9月11日〜)に、後に阪急東宝グループや宝塚歌劇団を創設することになる歴史的な実業家・小林一三(こばやし・いちぞう)が登場します。
「らんまん」に登場する小林一三は、まだ偉業を成し遂げる前の若き銀行員だった時代。万太郎のモデル人物である牧野富太郎と小林一三に接点があったかなどをまとめます。
寿恵子の店に来店 若き銀行員・小林一三
渋谷の町で待合茶屋「山桃」を開店した寿恵子(浜辺美波)。新橋の料亭「巳佐登」の仲居時代の評判の良さもあってか、寿恵子の店を応援してくれる人も多そうです。
「巳佐登」の常連客だった逓信省鉄道庁の役人・相島圭一(森岡龍)も、寿恵子の店に来てくれるようです。相島は銀行員をしているという青年・小林一三(海宝直人)も連れてきて…。
▷海宝直人(かいほう・なおと)
千葉県出身の35歳のミュージカル俳優、歌手。
7歳の時に劇団四季ミュージカル「美女と野獣」のチップ役で舞台デビューし、「ライオン・キング」でもヤングシンバ役で出演。その後もミュージカル舞台「ミス・サイゴン」「ファントム」「王家の紋章」「レ・ミゼラブル」「アラジン」など多数のミュージカル舞台作品に長年出演。
朝ドラ「エール」では、ヒロインの音(二階堂ふみ)が挑戦したオペラ「ラ・ボエーム」で音の相手役となるロドルフォ役を演じている。
同じく劇団四季で少女時代から活躍を見せたミュージカル俳優の海宝あかねは実の姉。
阪急グループを創設した偉人・小林一三 若き日は三井銀行の行員
小林一三(こやばし・いちぞう)といえば、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)、阪急百貨店、東宝・宝塚歌劇団、阪急ブレーブス(現在のオリックス・バファローズ)など、数々の事業を興し続けた経済界の偉人として知られます。
鉄道事業を中核に沿線の不動産開発や流通事業、エンタメ事業を複合的に発展させ、日本を代表する企業グループ「阪急東宝グループ」(現在は阪急阪神東宝グループ)を創り上げた実業界の超大物ですね。
山梨県巨摩郡(現在の韮崎市域)で生まれた小林一三は、東京に出て慶應義塾正科(現在の慶應義塾大学)を卒業後、三井銀行に入行。同行で34歳まで働き、東京本店調査課主任にまで昇進しています。
「らんまん」で小林一三が初登場する第24週の時代設定は、おそらく1898年(明治31年)頃かと思われます。小林一三は1873年(明治6年)生まれですので、ドラマに登場する小林一三はまだ25歳前後という計算になります。
つまり「らんまん」第24週で見られる小林一三の姿は、東京で銀行員をしていた頃の若き日の小林一三というわけですね。その後、小林一三は鉄道事業に未来を感じ、関西地方で「箕面有馬電気軌道」を設立。後の大躍進へと繋がっていくわけです。
牧野富太郎との接点 キーワードは「ヒメアジサイ」と「池長孟」
さて、気になる牧野富太郎(万太郎のモデル人物)と小林一三との接点なのですが、直接的な交流があったという話は語られていません。
ただし、牧野富太郎が命名した「ヒメアジサイ」、それに共通の知人だった「池長孟」を通して二人には何やら縁があります。
小林一三と六甲山の「ヒメアジサイ」
▼小林一三の願いにより「ヒメアジサイ」の群生地となった六甲高山植物園。開園当時には牧野富太郎も来園していたのだとか。同園では8月15日まで六甲高山植物園開園90周年特別企画「牧野の足あと~神戸で見つける博士と植物~」が開催されていました。
六甲山をブルーに染め上げるヒメアジサイの群れが壮観👏
— Kiss PRESS (@KissPRESS) July 9, 2023
牧野富田太郎命名のアジサイは鮮やかな六甲ブルー|六甲高山植物園で「ヒメアジサイ」が見ごろに 神戸市灘区 https://t.co/kKjZrSsmmS
1929年(昭和4年)、67歳になっていた牧野富太郎はまだまだ研究欲も旺盛であり、長野県戸隠付近で「葉面に光沢がなく、花球が小さい」アジサイを見つけています。富太郎はこのアジサイを優美な姿から「ヒメアジサイ」と命名しています。
この「ヒメアジサイ」は現在、阪急電鉄のお膝元である兵庫県神戸市の六甲山(六甲高山植物園など)に群生し、その鮮やかな群落は「六甲ブルー」と呼ばれて多くの観光客を惹き付けています。「ヒメアジサイ」は神戸市の市花にもなっていますから、その愛されぶりがわかりますね。
実はこの「六甲ブルー」「ヒメアジサイ」にはある逸話が残っています。
戦中戦後の混乱期、寂れて人が寄り付かなくなっていた六甲山の姿を嘆いた地元関西の偉人・小林一三は、六甲山を「アジサイの山」にしたいという願いを持って、苗の提供を申し出たのだとか。
小林一三は六甲山にも近い大阪の池田市に邸宅(雅俗山荘。昭和12年完成)を構えていましたし、何よりも阪急は沿線のまちづくりにより発展してきた企業ですから、地元への愛着や恩返しの気持ちもあったのでしょう。小林一三の願いは実現し、六甲山はこんにちのような「アジサイの山」になったのです。
共通の知人・池長孟(富太郎の恩人)
▼物語後半に「永守徹」という役名で登場する中川大志。牧野富太郎の恩人・池長孟がモデルと考えられます。
そしてもう一つ、牧野富太郎と小林一三を繋ぐ重要な接点があります。二人の共通の知人だった美術収集家・池長孟(いけなが・はじめ)です。
1916年(大正5年)頃、牧野富太郎はついに困窮極まり、自身の大切な標品類を外国に売りさばこうとするまでに追い詰められていました。
そんな富太郎の窮状を新聞記事で知った神戸の篤志家・池長孟は、富太郎への支援を買って出ています。
池長孟は当時京都帝国大学法科の学生でしたが、資産家だった叔父から莫大な遺産を受け継いでいました。池長孟は富太郎の多額の借金を支払ってくれたばかりか、その後の生活費の補助もしてくれたとか。
池長孟の厚意に大感激した富太郎は、池長家が持っていた神戸・会下山(えげやま)公園下の建物を「池長植物研究所」とし、自身の標品類をこの研究所に大量に預けています。
後に池長孟は界隈で知られる美術収集家になっていくのですが、池長孟は同じ阪神地域で趣味の茶人、美術蒐集家としても名を成した小林一三と交流があったそうです。
富太郎は「池長植物研究所」の管理のために毎月のように神戸に通っていた時期があったそうで、そうした中で、池長孟を介して小林一三を身近に感じる体験(あるいは直接会っていた可能性も?)があったかも知れませんね。
※例によって牧野富太郎は池長孟の財産をも食いつぶし、ついには疎遠になった、という話もあります。このあたりの暴走ぶりは「らんまん」では描かれないと思います…。
▼「らんまん」では池長孟をモデルにしていると思われる青年・永守徹(中川大志)が登場予定。寿恵子の店を訪れた小林一三が後に永守徹を通して万太郎と繋がる、そんな展開があるかも知れません。