「らんまん」平瀬作五郎(野宮モデル)と南方熊楠は共同研究を行った間柄 「神社合祀反対運動」と平瀬作五郎

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NHK連続テレビ小説「らんまん」第24週では、植物学教室を去った元画工の野宮朔太郎と博物学者の南方熊楠との繋がりを予感させる展開が発生します。

野宮のモデルである植物学者・平瀬作五郎は、「神社合祀反対運動」を展開した博物学者・南方熊楠と長年に渡り共同研究を行っており、ドラマでも野宮と熊楠が繋がる展開があるかも知れません。

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目次

【らんまん】野宮と熊楠 ともに「鎮守の森」の消失を心配

和歌山で在野の博物学者、民俗学者、植物学者として野を駆け回る南方熊楠(みなかた・くまぐす)から、植物の検定を依頼する荷物を受け取った万太郎(神木隆之介)。同じ熱量を持つ同志が居ることに万太郎は胸を熱くします。

そんな折、万太郎のもとに教室を去った盟友・野宮朔太郎(亀田佳明)から手紙が届きます。

それによれば野宮は近頃、南方熊楠と懇意になり松葉蘭の共同研究を行うことになったとのこと。

さらに野宮は、国が進めている「神社合祀令(神社の合併政策。神社整理とも)」により紀州・糸田の神社の森が潰されて南方熊楠が激怒していること、糸田の神社の土地が直面している悲惨な状況などを万太郎に訴えます。それを読んだ万太郎は居ても立っても居られない気持ちになります。

熊楠は帝国大学の植物学教室にも手紙を送っていました。それを見た万太郎が「自分も熊楠から手紙をもらったことがある」と話すと、徳永教授(田中哲司)は「神社合祀令に反対している熊楠には深入りするな」と釘を差します。

熊楠は前述した糸田の神社の件への怒りから、国が発令した「神社合祀令」に強く反対する運動を起こしていました。帝国大学は国家の研究機関であると強く考える徳永教授は、万太郎が反国家的な行動をしないか警戒しているようです。

【史実】南方熊楠と「松葉蘭」の共同研究をした平瀬作五郎

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「らんまん」に登場している元画工・野宮朔太郎(亀田佳明)は、イチョウの精子を発見した平瀬作五郎がモデルと考えられます。平瀬は、「知の巨人」として世界に名を残した南方熊楠と長年の親交があったことで知られます。

平瀬は1907年(明治40年)頃に南方熊楠と知り合うと、やがて南方熊楠と協同して松葉蘭(マツバラン)の発生順序の共同研究を行っています。この研究には平瀬が得た恩賜賞金が使われたそうです。

和歌山の田辺に住む熊楠が松葉蘭の栽培を行い、その標本を京都に住む平瀬が顕微鏡で観察、解剖検鏡するという役割分担により、二人の研究は14年近くにも渡ったとか。

平瀬は毎年和歌山の熊楠のもとを訪ねては近況の報告を受けるとともに、熊楠から新たな標本をもらい、それを京都へと持ち帰って解剖検鏡に励むという楽しい年月を送ったようです。

結局この研究はオーストラリアの研究者に先を越されてしまい、二人は肩を落として1920年(大正9年)頃に研究をやめたそうです。

※平瀬が帝国大学の植物学教室でイチョウの精子を発見したのは1894年(明治27年)で、論文「いてふノ精虫に就テ」を世に出したのが1894年(明治27年)のこと。その後平瀬は植物学教室を離れ、滋賀の彦根中学、京都の花園中学校で教えるなど、研究の前線を離れています。

不遇な時期もあったようですが、平瀬は1907年(明治40年)頃に南方熊楠と出会い、晩年は充実した気持ちを持てたことでしょう。平瀬は共同研究の終了から5年後の1925年(大正14年)に74歳で亡くなっています。

【史実】南方熊楠と柳田国男の書簡 平瀬の偉業を引用し「神社合祀反対運動」への賛同を求めた

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平瀬作五郎と南方熊楠の間には、こんな話も残っています。このエピソードが、「らんまん」第24週のストーリーに関係してくるかも知れませんね。

南方熊楠は民俗学者の柳田国男との書簡の中で、イチョウの精子を発見した友人・平瀬作五郎の偉業を引用する形で、柳田に対して「神社合祀反対運動」への賛同を求めています。

「銀杏は太古には数十百種もありしが、今は化石となりおわれり。さればとて日本、支那にのみ遺存し、わずかに社寺境内にのみ生を聊する銀杏を、軽々看過すべきにあらず。友人平瀬作五郎氏、往年銀杏の精液が他の高等植物と異にして、反って羊歯等の下等植物に同趣なるを発見し、植物学界をひっくりかえせしは、実に日本にこの一種のみを保存しありし力なり。他国に亡びたれば、ついでにいっそこの国のものをも全滅跡なからしめんとするは、人道にも天道にも反けりと思う」

★★ちょっと分かりづらい文章なので、超意訳をしてみました。★★↓

「かつては数十百種あったものの、今では各地から姿を消し、日本と中国のみに残っているイチョウ。特に日本においてイチョウは、神社の境内の森(鎮守の森)が守られてきたからこそ生きながらえてきたわけであり、こうした事実を軽視すべきではない。

友人の平瀬作五郎氏は先年、イチョウに精子があることを見つけるという世紀の発見をして植物界をひっくり返らせたが、それも神社の神域がイチョウという種を守ってきたからこそ。他国で滅んだからと言って、ついでにこの国でも滅ぼしてしまえ、というのはあまりに人の道に反していると思う」

1906年(明治39年)に国が布告した「神社合祀令」は、複数の神社の祭神を一つの神社に合祀するなどし、神社を整理・統合(合併)するという政策でした。これにより長らく守られてきた各地の神社の「鎮守の森」が潰される危機があったわけですね。

南方熊楠は「神社合祀令」により土着の習俗が破壊され、地方の衰退、愛国心の喪失、天然の風景と天然記念物の亡失など多岐にわたる害悪があると主張しています。

前述したように南方熊楠にとって平瀬作五郎は信頼できる友人であり良き研究仲間ですから、彼の偉業の前提となった神社の森の喪失は許しがたい、というわけです。

※南方熊楠は、彼のお気に入りの研究フィールドだった和歌山・田辺の「糸田神社」が合祀され、境内の整理により採集環境を失う(アオウツボホコリという非常に珍しい変形菌の一種を採取したタブノキの倒木が処分された等)という経験をしています。この出来事が南方熊楠の怒りに火をつけたともされます。

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