NHK連続テレビ小説「らんまん」の終盤に登場する資産家の青年・永守徹(ながもり・とおる)。人気俳優の中川大志が演じることからも、物語上重要な役割を果たすことが予想されます。
この永守徹という人物は、牧野富太郎にとって恩人ともいえる実業家、美術収集家の池長孟(いけなが・はじめ)がモデルになっていると思われますので、富太郎との関係性などをまとめます。
【らんまん】万太郎を支援 神戸の若き資産家・永守徹
帝国大学で働きながら自らの研究、図鑑発刊を続ける万太郎(神木隆之介)ですが、やはり資金繰りは苦しいままでした。
そんな中、万太郎はあるキッカケにより神戸の資産家の青年・永守徹(中川大志)から図鑑発刊のための費用を支援したいという申し出を受けることになります。
【追記】永守徹は、寿恵子の店の常連の相島(森岡龍)が連れてきた永守の代理人・早川逸馬(宮野真守)との縁により万太郎と出会うことになります。
永守家はもともと神戸で瓦商をしており、明治の御一新の際に大量の土地を買い占めて莫大な財を成したのだとか。家を取り仕切っていたおじが亡くなり若くして当主となった永守徹は、その莫大な資産も受け継いでいるようです。
永守徹は、有り余る資産を意義のある事業に投資したいと考えているようです。どのような経緯で万太郎の支援へと繋がるのか、展開が楽しみです。
▷中川大志(なかがわ・たいし)…茨城県出身の25歳の俳優。子役として「おひさま」「平清盛」「家政婦のミタ」「GTO」などに出演。2019年の朝ドラ「なつぞら」ではヒロインの結婚相手・坂場一久役を演じたほか、大河ドラマ「真田丸」の豊臣秀頼役、「鎌倉殿の13人」の畠山重忠役などでも活躍。若手トップ俳優の一人になっている。
モデルは資産家、美術収集家の池長孟か
叔父の莫大な資産を受け継ぎ、万太郎への支援を行う青年…。こうしたキャラクラー設定から、永守徹は美術収集家で資産家だった池長孟(いけなが・はじめ)がモデルになっている可能性があります。池長孟は金銭的に苦しんでいた牧野富太郎(万太郎のモデル人物)に多額の支援をした篤志家として知られます。
東京帝国大学に勤めてはいたものの、松村任三教授(徳永教授のモデル)との確執もあり昇給もままならず、研究費用の枯渇に苦しんでいた牧野富太郎。
52歳だった大正3年(1914年)頃からは経済状況が極端に悪化し、大正5年(1916年)になる頃にはついに借金が積み重なり、自身の植物標本10万点を海外の研究所に売ることを決意しています。
そんな折、富太郎の窮状を知った農学士の渡辺忠吾という人が「東京朝日新聞」に「篤学者の困窮を顧みず、国家的資料が流出することがあれば国辱である」とする富太郎の窮状を訴える記事を寄稿。この記事を「大阪朝日新聞」が転載したところ大きな反響を呼び、神戸から二人の篤志家(とくしか=社会事業や慈善活動に積極的に援助する人物)が現れています。
一人は「鉱山王」の異名を取った実業家・久原房之助で、もう一人が「らんまん」の永守徹のモデル人物と目される、当時25歳の京都帝国大学法科の学生・池長孟でした。
▼もう終わってしまいましたが、2022年には池長孟ゆかりの神戸市立博物館で「コレクターたちの片鱗」と題した企画展も開催。天性のコレクター魂を貫いた牧野富太郎と池長孟の足跡が特集されています。
植物学者として世界的な業績を残した #牧野富太郎 。経済的窮地に陥った彼を救ったのは、神戸の若き資産家・池長孟。このふたりが #神戸市立博物館 に遺したものは?コレクション展示「コレクターたちの片鱗」12月4日まで。https://t.co/yHBgiY6cxO pic.twitter.com/sdyVvFoNOQ
— 神戸市立博物館 (@kobemuseum) November 15, 2022
叔父の莫大な資産を継承 牧野富太郎を助ける
幼少時に、莫大な不動産などを持つ資産家の叔父・池長徹の養子になっていた池長孟。養父(叔父)の没後に莫大な資産を受け継いだ孟は、有り余る資産を社会に還元していきます。
池長孟からの援助の申し出を知った富太郎と妻の壽衛子が神戸に向かうと、孟は富太郎の標本を3万円で買い取り、それを改めて富太郎に寄贈したいという神様のような申し出をしています。
孟の厚意に激しい感動を覚えた富太郎は、この申し出(標本の再寄贈)を固辞。教育熱心だった孟の養父・徹が神戸の会下山公園の登り口に建てていた池長会館に標本を所蔵させた上で、そこを「池長植物研究所」に改称するという案を提案しています。
これにより神戸に「池長植物研究所」が生まれ、富太郎は長年続いていた借金苦から逃れることが出来ました。池長孟はその後も富太郎の研究費用や生活費を援助するなど、富太郎にとってまさに恩人(パトロン?)といえる援助を続けています。
※富太郎の自叙伝によれば、「池長植物研究所」は本来は「牧野植物研究所」とでもすべきところでしたが、池長孟への多大な感謝の念を込めて「池長植物研究所」にしたとのこと。
※まったくの余談ですが、池長孟は生涯三回の結婚を経験し、そのうち二番目の妻だった富子はあの映画評論家・淀川長治の姉だったとか(2年で離婚)。
※例によって牧野富太郎は池長孟の財産も食いつぶし、ついには疎遠になった、という話もあります。このあたりの暴走ぶりは「らんまん」では描かれないと思います…。
伝説のコレクター 神戸市の文化発展に寄与
その後の池長孟は、育英商業学校(現在の私立育英高等学校)の校長を務める傍ら、南蛮美術や開化錦絵などの収集を行い「池長美術館」を開館。
誰もが知るあの「聖フランシスコ・ザヴィエル像」を旧家に眠っていた開けずの櫃(ひつ)から発見し、「泰西王侯騎馬図屏風」「織田信長像」(いずれも重要文化財)の収集を行うなど、伝説の美術品コレクターとして名を残しています。
戦後、戦災を逃れた美術館の建物と数々のコレクションは神戸市に寄贈され、これをもとに開館した市立神戸美術館は現在の神戸市立博物館のルーツになっています。同博物館では、今も池長孟が集めたコレクションが大切に守られています。
また、池長孟は同じく美術蒐集家や茶人としても名を成した「阪急東宝グループ」創業者・小林一三とも交流があったことでも知られます。
「らんまん」でも永守徹と小林一三が繋がる展開があるかも知れませんね。
▼今も「神戸市文書館」(兵庫県神戸市中央区熊内町1-8-21)として残る「池長美術館」の建物。