NHK大河ドラマ「青天を衝け」第22話に登場するフランス人・モンブラン伯爵についてまとめます。
パリに到着した徳川昭武一行は、モンブラン伯爵と薩摩藩の暗躍により、思わぬゴタゴタに巻き込まれていきます。
「モンブランには気をつけろ」
「青天を衝け」第21回では、神奈川奉行所で栄一(吉沢亮)と初対面した福地源一郎(犬飼貴丈)が「向こう(パリ)に行ったらモンブランというフランス人には気をつけろ」と忠告を与えています。
福地はモンブランについて、「公儀の使節が異国に行くたびに交わりを求めてくるのだ。何度も断っておったら次は薩摩に近づいておる。何かたくらんでるかもしれない」と発言をしています。
※モンブラン伯爵は、42歳の俳優・ジェフリー・ロウが演じています。カナダ・プリンスエドワード島出身で日本を活動拠点としており、「龍馬伝」(ウィリアム・オールト役)、「梅ちゃん先生」(米国人軍士官役)などに出演。
万博に「薩摩琉球国」の展示が出現
慶應3年(1867年)、将軍・徳川慶喜の名代(代理)としてパリ万国博覧会に参列した徳川昭武。日本という国家を代表してフランスに乗り込んだ一行でしたが、先に現地に乗り込んでいた薩摩藩とモンブラン伯爵の暗躍により、思わぬゴタゴタに巻き込まれています。
蒸気機関車やエレベーターなど、見たこともない西洋文明の利器が並ぶパリ万博。栄一は、そんな中に日本の品々が肩を並べて展示されていることを誇らしく感じますが、同時に、島津家の家紋を掲げた「薩摩琉球国」の名目で、薩摩や琉球の名産品が並べられ薩摩の旗が立てられていることに気が付きます。
どうやら薩摩藩は昭武一行よりも2ヶ月先にパリに乗り込み、薩摩が幕府と対等の立場にあることを万博を通じて列強に示そうと下準備をしていたようです。幕府の外国方はこの「薩摩琉球国」の出品を問題視し薩摩藩と交渉をしますが、薩摩側は「すべてモンブランが手配したこと」として取り合いません。
薩摩藩の背後にはモンブラン伯爵が
「琉球国の博覧会委員長」という肩書きだったというモンブラン伯爵は、フランス生まれでベルギーの男爵でもある男。かねてから日本に強い関心を持ち、2度の訪日経験を持っていました。
万博以前、モンブランは幕府の使節団が訪仏した際などに案内役を買って出ていますが、幕府は不審な言動が見られる彼を信用しませんでした。そんな幕府の対応に不満を持ったモンブランは、薩摩藩からの欧州留学生だった五代友厚、新納久修らと接触し、薩摩藩とベルギーとの貿易会社設立を持ちかけています。
結局この構想は実現しませんでしたが、これを縁にモンブランはパリ万博における薩摩藩の代理人となっています。
モンブランは、「薩摩琉球国勲章」を作成してナポレオン三世や各国の高官に贈ることを薩摩に提言。薩摩が東洋の独立国であるかのような印象を効果的に演出すると、前述のように博覧会における「薩摩琉球国」の出品を手助けしています。
老獪なモンブラン伯爵 ハメられる幕府
「日本国」と同等の立場の国家として薩摩(+琉球)が博覧会に出品するとあって、幕府外国方の向山、田辺はモンブランに猛烈に抗議をしますが、モンブランはこれをのらりくらりとかわします。
ようやく日本出品取扱委員長のレセップの仲介もあり、モンブランは薩摩の旗を外すことを了承。同時に、幕府が「日本大君政府」、薩摩藩が「薩摩太守政府」の名で出品し、ともに日の丸を掲げるという条件を田辺は了承しています。
しかし、これは老獪なモンブランの策略でもありました。翌日のフランスの新聞には「日本はプロイセンのような連邦国家」「田辺が大君政府の他に薩摩太守政府を認めた」などといった文字が踊ります。
これは、田辺が「政府」と訳されたフランス語の意味をよく理解せずに同意してしまったせいであり、モンブランや薩摩藩の計算通りの策略にハマってしまったのでした。
結局、「薩摩政府」などというものは到底容認できない幕府側が向山と田辺に責任を問い、二人は帰国。パリ万博を通じ、幕府と薩摩藩の対立がますます深まっていきます。また、「将軍・慶喜」が単なる一大名に過ぎないと報道されたことが、600万ドルの円借款の破棄に少なからぬ影響を与えていきます。