【エール】作詞家・高梨一太郎(ノゾエ征爾) モデルは高橋掬太郎【酒は涙か溜息か・船頭可愛や】

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NHK連続テレビ小説「エール」に登場する作詞家・高梨一太郎についてまとめます。

高梨一太郎のモデルは、「酒は涙か溜息か」「船頭可愛や」などの作品で知られる実在の作詞家・高橋掬太郎(たかはし・きくたろう)です。

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目次

「酒は涙か溜息か」の作詞家・高梨一太郎

高梨一太郎(ノゾエ征爾)は、木枯のヒット曲「酒は涙か溜息か」の詞を手掛けた売れっ子の作詞家です。

「福島行進曲」を聞いて裕一に興味を持った高梨は、自身の詞に曲をつけて欲しいと熱望し、木枯を介して裕一の紹介を受けることになります。

裕一の運命を変える?「船頭可愛や」

この時、高梨が裕一に託した詞は「船頭可愛や」というもの。さっそく裕一は曲を完成させて廿日市に譜面を提出すると、意外にも即採用されることになります。廿日市は、「船頭可愛や」が売れっ子作詞家・高梨一太郎によるものだと知り、これに飛びついたのです。

契約解除(クビ)寸前の裕一にとって、ラストチャンスとなる「船頭可愛や」。下駄屋の娘から芸者歌手になった異色の女性・沼田松子(後に藤丸。=井上希美が演じる)によって艶やかに歌われますが…。

▷高梨一太郎を演じるのは、劇作家、演出家、俳優として活躍するノゾエ征爾(のぞえ・せいじ)、44歳。青山学院大学在学中に演劇ユニット「はえぎわ」を立ち上げると(後に現在も続く「劇団はえぎわ」となり、主宰に)、2000年に「日本インターネット演劇大賞・最優秀新人男優賞」、2012年に「第56回岸田國士戯曲賞受賞」を受賞。2019年の大河ドラマ「いだてん」ではNHKの実況アナウンサー・松内則三役を演じるなど、ドラマでも活躍中。

作詞家・高橋掬太郎がモデル

高梨一太郎は、昭和に活躍した実在の作詞家・高橋掬太郎(たかはし・きくたろう)がモデルになっています。

北海道・根室で漁師の息子として生まれた高橋掬太郎(本名は菊太郎)。

地元の根室新聞社勤務時代から文芸活動を行い、函館日日新聞に入社すると社会部長兼学芸部長として活躍するとともに、文芸同人誌にも参加。詩や小説、脚本などを手がけ、「函館音頭」「函館行進曲」などのご当地ソングも手掛けています。

古賀政男を指名!「酒は涙か溜息か」を投稿し大ヒット

昭和5年(1930年)、日本コロンビア宛に自身の詞「酒は涙か溜息か」「私この頃憂鬱よ」を投稿すると、彼の人生が大きく変わっていきます。

投稿の際、高橋掬太郎は新進作曲家として注目を集め始めていた古賀政男(「エール」では木枯正人として登場)を大胆にも直接指名。

「酒は涙か溜息か」は、身分を隠し活動していた学生歌手・藤山一郎(「エール」では山藤太郎として登場)によって歌われ、空前の大ヒットを記録しています。

また、同曲のB面となった「私この頃憂鬱よ」も、後に「ブルースの女王」となる淡谷のり子が歌いヒットを記録。古賀政男、藤山一郎、淡谷のり子といった後のビッグネームの出世作を、いずれも高橋掬太郎が手掛けたというわけです。

これらヒットをキッカケに上京し(昭和8年)、各レコード会社を相手に本格的に作詞家としての活動を開始させた高橋掬太郎。

昭和10年には作曲・古関裕而、歌・音丸による「船頭可愛や」をまたしても大ヒットさせ、押しも押されぬ人気作詞家としての地位を固めています。

以降、「雨に咲く花」(昭和11年・歌:関種子)、「啼くな小鳩よ」(昭和22年・歌:岡晴夫)、「ここに幸あり」(昭和31年・歌:大津美子)、「古城」(昭和34年・歌:三橋美智也)、「足摺岬」(昭和34年・歌:春日八郎)、「石狩川悲歌」(昭和36年・歌:三橋美智也)など、名作昭和歌謡の作詞を数々手掛けています。

また、「日本音楽著作家組合」「日本民謡協会」「日本詩人連盟」の結成にも参加。音楽界、文芸界の発展に大きく貢献しています。

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