NHK連続テレビ小説「エール」で主人公・古山裕一と生涯の盟友となっていくガキ大将・村野鉄男についてまとめます。
村野鉄男は古関裕而とともに活躍した作詞家・野村俊夫がモデルとなっていますので、簡単な経歴や代表作などもまとめます。
魚屋「魚治」の長男 ガキ大将の村野鉄男
村野鉄男は、裕一の生家「喜多一」のすぐ近くにある魚屋「魚治(うおはる)」の長男です。
近所ではガキ大将として知られ、軍人として鳴らした「乃木大将」が彼のあだ名。裕一に対して気が強い一面を見せる鉄男ですが、その素顔は「古今和歌集」を持ち歩くなど、実は詩が大好き。意外に繊細な一面を持っています。
やがて村野家は借金を重ねたため夜逃げし、鉄男も裕一の前から姿を消しますが、後年に二人は再会することになります。鉄男は藤堂先生の紹介で新聞配達の仕事をはじめると、そこから努力して新聞記者になっていたのです。
鉄男は音楽の夢に踏み出せない裕一の背中を押す役割を果たすとともに、長年培った作詞の能力を武器に裕一との合作「福島行進曲」を創作。やがて裕一の勧めもあり上京し、作詞家としての道を歩み始めます。
同じく幼なじみの歌手・佐藤久志とともに、「福島三羽ガラス」となり、昭和の音楽界に名を残していくことになります。
▷村野鉄男を演じる俳優・中村蒼(なかむら・あおい)は、福岡市出身の29歳。「八重の桜」「本棚食堂」「赤ひげ」「かぶき者 慶次」「詐欺の子」といったNHKドラマで主役または重要な役柄を任されており、NHK期待の俳優と言えそうです。
作詞家・野村俊夫がモデル 古関裕而の幼なじみ
村野鉄男は、作曲家・古関裕而(古山裕一のモデル)の幼なじみだった作詞家・野村俊夫(1904-1966)がモデル人物と考えられます。
古関裕而と同じ、福島県福島市大町に生まれた野村俊夫(本名は鈴木喜八)。古関裕而の生家「喜多三呉服店」から通りを隔て向かいにあった魚屋が、彼の生まれた家でした。古関裕而よりも5歳年上だったそうで、近所ではガキ大将として知られたそうです。
古関裕而と野村俊夫はよく一緒に遊んだ仲であり、ごくごく親しい幼なじみが後に著名な作曲家、作詞家となって活躍するという非常に珍しいケースといえます。
新聞記者から作詞家へ
1924年(大正13年)、野村俊夫は地元新聞「福島民友新聞社」に記者として入社すると、古関裕而と再会をしています。和服に派手なマフラー、映画俳優バスター・キートンがかぶっていたような帽子をかぶり町をさっそうと歩く野村俊夫の姿は、なんとも印象的だったといいます。
野村俊夫は、福島民友の編集部、報道部で文芸欄を担当していました。古関裕而が参加していた「福島ハーモニカ・ソサエティー」の主催者と親友の間柄だったことから、しばしば同会の練習に顔を出しては古関裕而の編曲した合奏に聞き入っていたそうです。
1931年(昭和6年)、福島民友を退職すると、すでに東京で「日本コロムビア」の専属作曲家となっていた古関裕而の勧めもあり上京。作詞家としての道を歩み始めます。
「福島行進曲」「湯の町エレジー」「東京だョおっ母さん」
作詞家・野村俊夫の(そして古関裕而にとっても)デビュー作となったのが、古関裕而と組んで作り上げた「福島行進曲」(歌・天野喜久代)でした。故郷・福島の風景をモダンに綴った歌詞、それに竹久夢二が描いた福島の風景画から古関裕而が楽想を得た曲であり、ご当地色の強い新民謡でした。
以降、作曲・古関裕而、歌・伊藤久男(※)、作詞・野村俊夫という福島同郷のゴールデントリオによる「暁に祈る」(1940年)、「シベリア・エレジー」「若き日のエレジー」(1948年)、「岬の灯り」(1953年)、「メコンの舟歌」(1956年)をはじめ、作曲・古賀政男、歌・近江俊郎により大ヒットとなった流行歌「湯の町エレジー」(1948年)、150万枚を売り上げた島倉千代子の代表曲「東京だョおっ母さん」(作曲・船村徹)など、数多くのヒット作の作詞を担当。日本を代表する作詞家の一人となっています。
亡くなる2年前の1964年(昭和39年)には古関裕而と組み「故郷はいつも瞼に」を生み出しており、幼なじみで盟友である古関裕而とは生涯に渡り交流が続いています。
(※)歌手・伊藤久男は、「エール」ではお金持ちの幼なじみ・佐藤久志(山崎育三郎)として登場。
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