NHK連続テレビ小説「らんまん」で主人公・槙野万太郎が通うことになる高知の地元の学校「名教館(めいこうかん)」についてまとめます。
「名教館」は牧野富太郎の出身地である高知県の佐川町に実在した郷校ですので、その歴史や輩出した人物などもあわせてまとめます。
祖母から期待され 学問所「名教館」に通う万太郎
幕末の土佐で酒造業を営む裕福な商家に生まれた、主人公の牧野富太郎(森優理斗→神木隆之介)。
早くに両親を亡くし祖母・タキ(松坂慶子)によって大切に育てられた万太郎は、跡取り息子として立派に育ってほしいというタキの希望もあり(深尾家家臣・塚田昭徳の許しを得て)、地元の士族向けの学問所「名教館(めいこうかん)」に入ることになります。
当初は士族の子息ばかりの名教館に馴染めなかった万太郎ですが、そこで植物の本に出会うと学問に目覚め、英語・地理・物理・天文など西洋の先進的な学問を次々と吸収していきます。
万太郎はこの名教館で、高名ながら変わり者の学者・池田蘭光(寺脇康文)と出会って学び続けることの大切さを教わるほか、後に土木工学の分野で名を残す盟友・広瀬佑一郎(中村蒼)にも出会うなど、実り多き時間を過ごすことになります。
やがて明治新政府により新たな学制制度が始まると、万太郎は新設された小学校に進みますが、こちらは教育のレベルが低く物足りなさを感じて自主退学。祖母の期待とは裏腹に、家業の手伝いもそこそこに植物採集に明け暮れるモラトリアムな日々に突入していきます。
※名教館のシーンは、高知県高岡郡佐川町にある青源寺で行われたようです。牧野富太郎の生家にすぐ近くにあるお寺です。
佐川町に実在した名教館
▼佐川の中心部に今も大切に残されている名教館の玄関部分。維新後の学制の改革により郷校・名教館は廃止され、新設された佐川尋常小学校(現・佐川小学校)の敷地に名教館の玄関部分が移築されました。近年になりこの場所に再移築され、町のシンボルになっています。
名教館(めいこうかん)は、主人公・万太郎のモデル人物である牧野富太郎の郷里・佐川(高知県高岡郡佐川町)に実在した郷校です。
佐川は、高知の中心街から西へ25kmほどの距離にある山間の町。関ヶ原の戦いの後に新たに土佐藩主となった山内一豊とともに土佐に入国した土佐藩筆頭家老・深尾氏の領地として発展した地域です。
深尾家六代・茂澄の時代に「家塾」という形で名教館が生まれると、七代・繁寛がこれを「郷校」へと発展させています。名教館は家臣の子弟たちを学ばせる学び舎として機能し、佐川は高知に次ぐ学問の地として発展。儒学、漢学をハイレベルで教える名教館の存在により、佐川は多くの儒者を輩出するに至っています。
幕末に佐川の裕福な商家に生まれた牧野富太郎は、10歳の頃に寺子屋に通い始めると、11歳で士族の子弟ばかりが通う名教館に入り、そこで儒学者の伊藤蘭林(ドラマでは池田蘭光として登場)に学んでいます。
当時(明治初期)の名教館は西洋の訳書を用いて地理や天文、物理などの先進的な学問を教えていました。富太郎は名教館で福沢諭吉や川本幸民などの書物に学び、若くして学問の基礎を取得。これが後に「日本の植物学の父」と呼ばれる富太郎の土台を作ったといえます。
▼名教館(移築)のすぐ近くには、牧野富太郎の最初の師匠・伊藤蘭林の寺子屋の建物も残っています。ほかにも「牧野富太郎 ふるさと館」や富太郎ゆかりの展示もある「佐川町立青山文庫」など、コンパクトな佐川の町には見所がたくさん。
広井勇、田中光顕、土方寧… 名教館出身の著名人たち
当時の名教館には、富太郎と同い年で士族出身(父は深尾家の家臣)の広井勇(ドラマでは広瀬佑一郎として登場)も学んでいました。広井勇は後に「港湾工学の父」と呼ばれることになる佐川でも有数の偉人です。勇の曽祖父・広井遊冥はかつて名教館で儒学や和算を教えており、伊藤蘭林は広井遊冥のもとで学んだ弟子だったそうです。
また、富太郎よりは少し年長者となりますが、田中光顕(宮内大臣や伊藤博文初代首相の内閣書記官長などを務めた元土佐藩士、幕末志士、政治家)や土方寧(貴族院勅選議員などを務めた法学者)なども名教館出身の著名人です。いずれも伊藤蘭林の門下生ですね。
田中光顕や土方寧は、同郷の富太郎が金銭的に困窮した際にはとても心配し、相談や手助けなどもしてくれたそうです。
「らんまん」ではこうした佐川の偉人たちをモデルにした登場人物も複数登場していきそうです。