朝ドラ「ブギウギ」USKの後輩・秋山美月(伊原六花) モデルはOSK伝説のトップスター・秋月恵美子か

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NHK連続テレビ小説「ブギウギ」でヒロインの鈴子(趣里)の後輩として梅丸少女歌劇団(USK)に入団してくる秋山美月(あきやま・みつき)についてまとめます。

秋山美月は、大阪松竹歌劇団(OSK)で長年トップスターとして君臨した男役・秋月恵美子(あきづき・えみこ)がモデルになっていると考えれらます。

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目次

【ブギウギ】鈴子の後輩・秋山美月 タップダンスが上手い実力派

幼少期から歌って踊ることが大好きだったヒロインの花田鈴子(趣里)は、やがて道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)に入団すると、さまざまな才能を持ったスター候補たちと出会うことになります。

後にライバル劇団の花咲歌劇団から移籍してくる鈴子の後輩・秋山美月(伊原六花)も、そんなスター候補の一人。

秋山はタップダンスの名手で、花咲歌劇団(モデルは宝塚歌劇団?)の時代からその実力は確かなものがあるようです。

ショーへの理想が高く、良いものを創り上げるためには先輩にも物怖じせずに意見をしていく秋山。その実力によりやがてUSKの男役として人気となり、娘役のリリー白川(清水くるみ)とともにトップスターに君臨していきそうです。

その後、USKは鈴子の歌と秋山の踊りを二本柱として売り出そうと目論んでいきますが、観客の目は秋山にばかり向き、鈴子はモヤモヤとした気持ちを抱えていきます。

やがて鈴子は秋山はとともに、東京で立ち上げられた男女混成の梅丸楽劇団(UGD)のメンバーに抜擢されて上京して…。

▷伊原六花(いはら・りっか)…大阪府大阪狭山市出身の24歳の俳優、歌手。4歳の時からバレエを習い、小学生時代はダンスレッスンに熱中。進学した大阪府立登美丘高等学校ではダンス部でキャプテンとして活躍。同部は数々の大会で優勝を飾り、自身がセンターを務める「バブリーダンス」(YouTube動画は1.1億回再生!)はテレビやネットで大きな話題に。その後芸能界に進み、NHK Eテレ「旅するためのスペイン語」のナビゲーターを2年にわたり務めたほか、俳優としてドラマ「チア☆ダン」「明治東亰恋伽(主演)」「神様のカルテ」「エアガール」「夕暮れに、手をつなぐ」などに出演。NHK朝ドラ「なつぞら」ではヒロインの同僚・ももっちこと森田桃代役でレギュラー出演。歌手としても「センチュリー21」のCMソング「Wingbeats」(2019年)をリリースしている。

今回の秋山美月役は、持ち前のダンス技術や歌唱力、そして俳優としての演技力など伊原六花の能力が最大限に発揮される当たり役になるかも知れません。

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【史実モデル】OSKの伝説的トップスター・秋月恵美子がモデルか

タップダンスを得意とする男役のトップスターで、鈴子の後輩で、名前が「秋山美月」…。

これらのキャラクター設定から、「ブギウギ」の秋山美月は大阪松竹歌劇団(OSK)などで長年男役のトップスターとして活躍した秋月恵美子(あきづき・えみこ)がモデル人物ではないかと考えられます。

笠置シヅ子(当時は三笠静子。「ブギウギ」ヒロイン・鈴子=趣里=のモデル)の松竹楽劇部への入団から遅れること3年。

1930年(昭和5年)に松竹楽劇部に入団した秋月恵美子は、小柄な体格ながらも得意のタップダンスや剣舞、日舞などの身のこなしに強みがあったようです。

★松竹楽劇部は現在のOSK日本歌劇団

1922年(大正11年)に創設された松竹楽劇部は、1934年(昭和9年)に大阪松竹少女歌劇団(OSSK)、次いで1943年(昭和18年)に大阪松竹歌劇団(OSK)に改名されています。

戦後に紆余曲折を経て1970年(昭和45年)にOSK日本歌劇団(オーエスケーにっぽんかげきだん)となり、一度は解散の憂き目にあったものの復活。OSK日本歌劇団は現在も宝塚歌劇団、松竹歌劇団(SKD)とともに三大少女歌劇のひとつとしてエンタメ界に君臨し続けています。

1933年(昭和8年)に松竹楽劇部の劇団員らによる待遇改善を求めるストライキ「桃色争議」が起こると、看板スターだった飛鳥明子(「ブギウギ」大和礼子=蒼井優=のモデル)が騒動の責任をとる形で引退。

大阪松竹少女歌劇団(OSSK)と改称され再出発した同劇団は、新たに柏晴江(後に柏ハルエ)、美鈴あさ子(後にアーサァ美鈴)、三笠静子(後に笠置シズ子)らニュースターが台頭していきます。

そんな彼女たちが1938年(昭和13年)頃に一斉に退団すると、次世代として台頭していったのが秋月恵美子でした。

秋月恵美子・芦原千津子の「ゴールデンコンビ」

1938年(昭和13年)、スターの相次ぐ退団により路線変更の必要性に迫られていたOSSKは、秋月恵美子を男役とし、娘役の芦原千津子とコンビを組ませて売り出すという実験的登用を実施。

これが大当たりして芦原千津子との「ゴールデンコンビ」が大人気になると、秋月恵美子は一躍男役のトップスターの座にのぼりつめています。これに加え、同時代には勝浦千浪(後にOSKの大幹部に)、京マチ子(後に女優として日本映画黄金期に大活躍)といった人気者も出現し、OSSK(〜1943年)、OSK(1943年〜)は黄金期を迎えることになります。

【補足】1938年(昭和13年)、秋月恵美子は笠置シヅ子とともに東京で旗揚げされる男女混成のレビュー劇団・松竹楽劇団にスカウトされています。これにより秋月恵美子は一時的に東京で活動を見せますがやがて大阪に戻り、OSSK、OSKの伝説的スターになっています。

戦時中には大阪大空襲により本拠地の大阪劇場(通称:大劇=だいげき)を焼失するなど苦難の時代を送ったOSKですが、それでも焼け残った大阪松竹座で公演を続行。敗戦で悲しむ国民を照らす存在として、OSKは歴史を刻み続けています。

秋月恵美子は戦後も芦原千津子と切磋琢磨しながら、現役のOSKトップスターとして活躍を見せ続けていきます。

1948年(昭和23年)には芦原千津子、勝浦千浪、京マチ子らとともに京都四條南座公演「秋のおどり他」などを成功に導いたほか、長年数々の舞台で活躍。

OSKトップスターの名コンビだった秋月恵美子と芦原千津子は、1950年代に以下の映画でも共演をしています。舞台同様、コンビ役での出演が多かったようですね。

・「夢を召しませ」(1950年)秋月恵美子…レビューのスター・ミッキー役、芦原千津子…レビューのスター・タッピィ役
・「海を渡る千万長者」(1951年)秋月恵美子、芦原千津子…ショウの踊り子役
・「歌まつり 満月狸合戦」秋月恵美子、芦原千津子…デュエット役
・「七変化狸御殿」(1955年)秋月恵美子、芦原千津子…小妖精役
・「歌う弥次喜多 黄金道中」(1957年)秋月恵美子、芦原千津子…天女役

1965年(昭和40年)には、当時社会主義国だったソ連での49日間の公演を成功に導き、その高い芸術性により秋月恵美子はフルツェワ文化大臣から「芸術家」の称号を与えられています。※その後1974年(昭和49年)にかけてソ連、ポーランドでの複数回の公演を成功に導いています。秋月恵美子はこのソ連公演などに座長として臨んだものと思われます。

1973年(昭和48年)、秋月恵美子は実に35年にわたりトップスターを務めた後に、現役を引退しています。

引退後は1994年(平成6年)までOSK日本歌劇学校の講師を務めたほか、1982年(昭和57年)には創立60周年記念公演「秋のおどり 楊貴妃」の演技指導を担当するなど、長年にわたり劇団の後進の指導に尽力。その伝説的な経歴もあり、OSKにおいて象徴的な存在となっています。

2002年(平成14年)、秋月恵美子は85歳で亡くなっています。

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