「ちむどんどん」語り(ナレーション)はジョン・カビラ アメリカ統治下の沖縄出身

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NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」で語り(ナレーション)を担当するジョン・カビラについてまとめます。

ジョン・カビラは、ドラマの登場人物たちと同じ時代の沖縄で生まれ育っていますので、沖縄との関係なども含めてまとめます。

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目次

語りは沖縄出身のジョン・カビラ

「ちむどんどん」は、まだアメリカ統治下にあった1964年の沖縄本島北部・やんばる地方から物語がスタートします。

ヒロインの比嘉暢子(黒島結菜)は沖縄で生まれ育ち高校を卒業すると、沖縄の日本本土復帰(1972年5月15日)にあわせるように上京することになります。

そんなヒロインの人生に寄り添っていくのが、「語り(ナレーション)」を担当するジョン・カビラです。ジョン・カビラは劇中に登場する特定の登場人物としてではなく、あくまで第三者目線の「語り」として、ヒロインたちを温かく見守っていくようですね。

【追記】物語を通じてヒロインたちの人生を見守ってきたジョン・カビラ。9月15日の第114回放送では、暢子の店「ちむどんどん」の客として、ジョン・カビラ本人が出演しました。その際、ジョン・カビラと相席になった客として父の川平朝清、娘の川平羽夏も登場。祖父と娘との三世代共演が実現しています。

生まれは本土復帰前の沖縄 暢子と同じタイミングで「上京」

J-WAVEなどのでラジオパーソナリティやテレビ番組、サッカー中継のMCやナレーションなど、持ち前の美声と語学力を武器に多方面での活躍を続けているジョン・カビラ(本名:川平慈温=かびら じおん)。

1958年、琉球放送のアナウンサーだった日本人の父・川平朝清(かびら・ちょうせい)と米軍基地の学校で教師をしていたアメリカ人の母・ワンダリーの長男として生まれ、沖縄県那覇市で育っています。

父の川平朝清は通訳や音楽の分野で琉球王朝に仕えた川平家の末裔であり、ジョン・カビラ自身も幼少期からアメリカ統治時代の沖縄の空気の中で育った「ウチナンチュ」ということになります。

1972年5月15日に沖縄が本土への復帰を果たすと、那覇・首里中学の2年生だったジョン・カビラは家族と共に東京へと転居しています。「ちむどんどん」の主人公・比嘉暢子も1972年5月15日の沖縄本土復帰に合わせて上京するとのことなので、ヒロインの人生とジョン・カビラの生い立ちがどこか重なります。

※計算上、ヒロイン・暢子は1953年4月〜1954年3月の生まれであり、1958年11月生まれのジョン・カビラよりも5歳ほど年上ということになります。

「ちむどんどん」の語りに抜擢されたことを知り「デージヤッサー(大変だ〜)」と驚いたというジョン・カビラ。当時の沖縄の空気感を熟知しているからこそ、郷愁やアイデンティティの発露に引っ張られすぎず、バランス感覚を持って収録に臨んでいるようです。

「ウチナンチュの誇りと愛をもって役目を全うする」とのことで、その語り口が楽しみです。

▼「ちむどんどん」のガイドブック(NHK出版)には、語りを担当するジョン・カビラのインタビューも掲載されています。本土復帰を前に初めて日本の円紙幣を見た時の驚き、父方の親戚の家で食べた本格的な沖縄料理の思い出など、アメリカ統治下の沖縄で生きた人ならではの思い出なども語られています。

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