「どうする家康」浜松城の侍女・お万(松井玲奈) 家康側室・於万の方(小督局、長勝院)がモデルか 

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NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する瀬名に仕える侍女・お万。やがて浜松城に暮らす家康のそばに仕えることになり、戦で疲弊した徳川家康の心に入り込んでいくことになります。

松井玲奈演じるお万は、池鯉鮒神社の娘で徳川家康の子を産んだ女性・於万の方(長勝院、小督局)がモデルだと考えられますので、その人物像などをまとめます。

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目次

浜松で寂しい家康を癒やす?瀬名の元侍女・お万

松井玲奈が演じるお万は、三河の池鯉鮒神社(ちりゅうじんじゃ=知立神社)の神主だった氷見家の娘として生まれています。

お万は、戦災で神社が焼失して家を失うと岡崎にいる家康正室・瀬名に仕える侍女となり、やがて浜松城に移り住んだ家康のそばに仕えることになります。

この当時の家康は、新たな本拠となった浜松城で、戦続きの日々に疲弊していた時期。瀬名は岡崎城を家康から譲り受けた長男・信康を見守るために岡崎に残っていましたから、家康はどこか寂しい気持ちを抱えていたのかも知れません。

家康は、入浴時に背中を流してくれる侍女・お万に歴戦の戦の苦労話などをするうちに、ついつい美しいお万にドキドキしてしまい、その気持ちを抑えきれずに手を出してしまいます

やがてお万の妊娠が発覚すると、鬼の形相をした瀬名が浜松城へと乗り込んできます。あの慎ましくおっとりとしたお万が家康とそんな関係に…。瀬名が信じられない気持ちを抱えながら侍女の長屋へと向かうと、そこには木に縛られて泣いているお万がおり…。

▼アイドルグループ・SKE48のエースとして活躍し、その後は女優、小説家、YouTuberなどとして活躍する松井玲奈(愛知県豊橋市出身・31歳)。NHK朝ドラ「まんぷく」でヒロインの親友役、「エール」でヒロインの姉役に抜擢されるなど、NHKからの信頼も厚い。

家康側室・於万の方(小督局、長勝院)がモデルか

三河・池鯉鮒神社の娘であり、家康の子を宿し、名前はお万…。これらの人物設定から、松井玲奈が演じるお万は徳川家康の側室・於万(小督局 / 於古茶 / 長勝院)がモデルだと考えられます。

三河国 池鯉鮒明神の神主・氷見貞英(志摩守)の娘として生まれた於万。まず家康正室・築山殿(=瀬名)の奥女中になり、その後に浜松城で女房衆として働く中で家康の手付きとなり、家康次男・結城秀康(越前松平家の祖)を産んだとされます。

「どうする家康」では、瀬名がお万の妊娠に激怒して浜松城に乗り込んでくるシーンが描かれます。

これは、於万が側室(妾)になるという承認を正室の築山殿から得ないままに家康の子を妊娠し、これを問題視した築山殿が於万を浜松城の女房衆から追放したというエピソードが元になっています。側室の承認というのが、正室の大きな権限として存在したようですね。※こういう経緯はありますが、於万は一般的には「家康側室」と表記されることが多いです。

気になるのが於万とその息子・秀康のその後です。浜松城を追放された於万は、本多重次という家康の家臣の差配により秀康を無事出産しています。

築山殿の手前もあり家康の子として認知されなかった秀康(築山殿の死後に家康の子として認知)は、11歳で豊臣秀吉の養子となり、下総国結城城主・結城晴朝の養女・江戸鶴子と結婚。婿養子となり結城氏を継いでいます。秀康は関ヶ原の戦いの後に越前国北荘藩(福井藩)に加増移封され、越前国北荘藩(福井藩)初代藩主に就任。松平姓に復し、越前松平家の祖となっています。

於万も、秀康が越前国北荘藩に移るとこれに同行。秀康が急死(慶長12年・1607年。享年34)すると出家し、元和5年(1919年)に72歳で亡くなっています。

▼知立神社のすぐ近くにある総持寺には、「長勝院(於万の方)生誕地」の石碑があります。

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