「どうする家康」お田鶴(関水渚)は強大な敵と戦った烈女、女城主 「椿姫」の名の由来は瀬名(築山殿)の行動から

NHK大河ドラマ「どうする家康」に瀬名の親友として登場するお田鶴(おたづ)。

強大な敵を前にひるまず戦った「烈女」として語られるお田鶴の人物像、たどった運命、最期などをまとめます。また、彼女の別名でもある「椿姫」の名の由来(瀬名=築山殿が由来)もまとめます。

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瀬名の親友、氏真の従兄妹 今川重臣の娘・お田鶴

▼お田鶴を演じるのは、神奈川県出身の24歳の俳優・関水渚(せきみず・なぎさ)。映画「町田くんの世界」でヒロインを演じ多数の映画賞を獲得すると、「カイジ ファイナルゲーム」「コンフィデンスマンJP プリンセス編」などに出演。ドラマ「アノニマス〜警視庁“指殺人”対策室〜」「八月は夜のバッティングセンターで。」「元彼の遺言状」に出演したほか、2023年1月のドラマ「ハマる男に蹴りたい女」ではヒロインに抜擢。

お田鶴(おたづ)は、家康の正室・瀬名=築山殿(有村架純)と同じく「今川家重臣の娘」として育った女性。お田鶴の簡単な出自、プロフィールは以下の通りです。

お田鶴(お田鶴の方、椿姫)

父:鵜殿長持(三河・上ノ郷城主)
母:今川義元妹または義妹
きょうだい:鵜殿長照、西郡局(家康側室)? ほか

夫:飯尾連龍(遠江・曳馬城主)

鵜殿氏は三河・上ノ郷城(現在の愛知県蒲郡市)を拠点とし、駿河の今川氏に従属した一族。鵜殿氏の所領は今川が西進する際に重要な位置にあったことなどから、鵜殿氏は今川家から重用され、大切に扱われたようです。

お田鶴の母は今川義元の妹(または義妹)とされます。瀬名(築山殿)の母も同じく今川義元の妹(または伯母?)だったとされるため、お田鶴と瀬名は母が(義理の)姉妹同士である従姉妹(またはごく近い親戚)の関係にあったようです。※義元の嫡男・今川氏真(溝端淳平)もお田鶴の従兄妹ということになります。

瀬名の父・関口氏純(渡部篤郎)も今川家の重臣でしたから、お田鶴と瀬名は「重臣の娘」「今川一族の姫」という似通った立場にあったということですね。

「どうする家康」第1話では、家康(松本潤)と今川氏真が駿府城で剣術対決する姿を、あでやかな着物を着たお田鶴と瀬名が見守る姿が描かれています。また、瀬名と家康が密会していた際には勝ち気なお田鶴が家康を怒鳴り飛ばすなど、お田鶴と瀬名の仲良しぶり、特にお田鶴が瀬名のことを大切に思っている様子が描かれています。

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曳馬城主・飯尾連龍に嫁ぐが…

その後、瀬名は三河岡崎の弱小大名・松平元康(家康)に、お田鶴は遠江の曳馬城主・飯尾連龍(いのお・つらたつ)に嫁ぎ、別々の道を歩み始めます。曳馬城(引間城=ひくまじょう)というのは、後に家康が本拠とする浜松城のことですね。

今川家の重臣だった飯尾連龍ですが、桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にすると、今川に背を向けて三河の徳川に近づいていきます。これに激怒した今川氏真は、逆心ありとして連龍を謀殺した(あるいは自害に追い込んだ)とされます。

※「どうする家康」では、お田鶴が今川に対し「夫の飯尾連龍が徳川と通じている」と密告する衝撃の展開が描かれます。お田鶴は結婚後も今川への忠誠を貫くとともに、今川を裏切って織田と手を組んだ(しかも兄・鵜殿長照を滅ぼした)家康に敵対心を抱いていくようです。第1話でお田鶴がヘタレの家康を怒鳴り飛ばしたのも、こうした展開の伏線だったということですね。

城を守る「女城主」お田鶴 家康と激突し討ち死に

突然に主が失われた曳馬城ですが、お田鶴が女城主として城を守ることになります。お田鶴は美人で優しく男勝りの性格だったようで、そんな彼女に対して城の侍や町民たちも心良く従っていたようです。

やがて家康が甲斐の強者・武田信玄(阿部寛)と密会し、徳川が今川領・遠江を、武田が今川領・駿河を切り取ろうと約束した上で両国に侵攻を開始。家康率いる徳川軍は、連龍亡きあとの遠江・曳馬城で女城主になっていたお田鶴と激突することになります。

劣勢の中、懸命に防戦の指揮をとるお田鶴。家康が降伏をうながす使者を送り込みますがお田鶴はこれを承諾しません。

300人余りの曳馬の城兵たちは次々に討ち死にし、ついに進退窮まったお田鶴は長髪を乱しつつ、長刀を持った18人の侍女とともに城外へと飛び出します。お田鶴たちは最期まで果敢に戦いますが全員討ち死に。お田鶴は今川への忠誠心を最期まで持ち続けたまま、美しく散ってしまいます。

瀬名がお田鶴の死を悲しみ…「椿姫」の由来

勇敢な「烈女」「女武者」として後世に語り継がれることになるお田鶴。「椿姫(つばきひめ)」の名で語られることも多い彼女ですが、この「椿姫」の名は盟友・築山殿(瀬名)の行動が由来とされます。

今川への忠誠を貫き、家康との戦いの末に散ってしまったお田鶴に対し、築山殿(瀬名)は「あわれなことよ」と声をあげて大泣きしたと伝わります。

築山殿(瀬名)は侍女や和尚たちとともにお田鶴が戦死した曳馬の地を訪ね、讀経供養を営んだ後に塚を作り、周りに100本余りの椿を植えたそうです。

築山殿(瀬名)が「この椿ながく年ごとに咲いてたも、願わくばお田鶴どのの未來に榮えあらせ給え、護りませ給え。」と念じると、椿は数日後に優しく咲き誇ったとか。この場所は「椿塚」「椿屋敷」となり、お田鶴は「椿姫」と呼ばれ、後世の文学作品等で語り継がれていきます。

こうしたエピソードをもとに、「どうする家康」では瀬名とお田鶴との美しい友情物語が描かれていきます。

▼お田鶴が守った曳馬城は、後に織田信長の進言により徳川家康の本拠となります。家康は「曳馬(引馬)」という名前を嫌がり、現地に昔からある「浜松庄」の名を採用。「浜松城」と改称され、城の大改修が行われています。家康が浜松に移り住む際、築山殿(瀬名)は息子の信康とともに岡崎に残っています。

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