「どうする家康」家康の正室・瀬名(築山殿)悲しい最期を迎える?

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NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する徳川家康の正室・瀬名(せな=築山殿)。

劇中では家康と相思相愛となり家康の躍進を支える存在となりますが、史実では悲しい最期を迎えています。

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目次

今川義元の姪 瀬名姫

「どうする家康」の物語前半でヒロインとして君臨するのが、徳川家康(松本潤)の正室となる、朗らかで美しい今川の娘・瀬名(有村架純)です。

徳川家康の正室「築山殿(つきやまどの)」として知られる瀬名。父は今川義元の筆頭家老・関口氏純(関口親永。渡部篤郎が演じます)で、母は今川義元の妹(「巴」として登場。真矢ミキが演じます)ともされます。つまり、瀬名は「海道一の弓取り」とうたわれる大大名・今川義元の姪っ子(姪っ子ではないとしても、少なくともごく近い親族)ということになるわけですね。

徳川家康は、今川家の人質の身分だった16歳当時に、駿府の今川館で瀬名と結婚をしています。ドラマでは人質だった家康が瀬名と恋に落ち、今川義元(野村萬斎)の許可を得て「格差婚」が成就。気弱で情けない男だった家康が瀬名の支えにより、少しずつ成長していく姿が描かれます。

※「格差婚」と表現しましたが、もちろん当時の家康(元康)が格下という意味です。三河(岡崎城が本拠)の弱小領主であり今川の人質だった家康は、今川一族の名家の娘・瀬名と結婚したことで、今川の一門格として扱われるようになったのです。

※ドラマに登場する巴の人物設定には「今川義元の妹」という言及は見当たらず、「今川本家に通じる高貴な家柄」という少しぼかした出自のようです。

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義元討ち死→家康独立、信長と同盟→瀬名は「裏切り者の妻」に

今川の本拠である駿府で暮らし、愛する瀬名との間に長男・信康(幼名・竹千代)、長女・亀姫が生まれる家康。ドラマでは家康の愛妻ぶり(瀬名への依存?)が描かれていきますが、思わぬ形で愛する家族が分断されてしまいます。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで織田信長軍と今川義元軍が激突すると、総大将の今川義元が戦死。この混乱の中で岡崎城の留守を守っていた今川方の城代・山田新右衛門(天野ひろゆき)も討ち死にすると、家康はガラ空きになった本領・岡崎への帰還に成功。家康は落ち目の今川に見切りをつけ、織田信長と同盟を結ぶという決断をすることになります。

ここで大問題となるのが、駿府に残したままの家康の妻・瀬名と二人の子供たちです。今川義元の嫡男・今川氏真(溝端淳平)は家康の裏切りに激怒し、その妻である瀬名だけでなく両親の関口氏純、巴も罪人のごとく扱うようになります。

結局、家康の家臣・石川数正(松重豊)の説得により、生け捕りにした人質「鵜殿氏長・鵜殿氏次(今川方)」と「瀬名・信康・亀姫」との人質交換が成立。瀬名たちは奪還され、岡崎に移り住むことになります。

岡崎城下・築山で暮らす日々

家康の本拠である三河・岡崎に入り、円満な夫婦生活を送ることになる瀬名。

織田信長からの進言により家康が遠江の浜松城(引間城)に移った後も、瀬名は岡崎に残留。瀬名は岡崎城下の築山の庵に移り住むことになります。この築山という地名が「築山殿」と呼ばれた由来ですね。

瀬名は岡崎に残り、家康から岡崎城を任された息子の信康、妻の五徳(織田信長の長女。久保史緒里が演じます)を見守っていきます。ドラマでは家康の行動が発端となり巻き起こった一向一揆の苦い経験から、瀬名は城下の築山に住み、民の声を聞いては家康にその声を届けるという生活を送るようです。

また、瀬名と於大の方(家康の母。松嶋菜々子が演じる)がタッグを組んで家康の側室探しに奔走する姿なども描かれます。強烈なキャラクターの於大の方と瀬名とのコミカルな嫁姑関係も、ドラマの楽しみの一つとなりそうです。

家康が手を下す?瀬名の最期(史実)

ドラマでは家康と固い絆を結んでいく瀬名ですが、史実では悲しい最期を迎えています。

家康が浜松に移った後も後継ぎの信康とともに岡崎に残った築山殿(瀬名)。信康は織田信長の長女・徳姫(五徳)と結婚して娘も生まれていましたが、この徳姫が悲劇の引き金を引いてしまうことになります。

徳姫は、姑にあたる築山殿(瀬名)が「信康と共謀して武田氏に内通している」「唐人医師との密通があった」「徳姫に関する讒言を信康にした」などとして、築山殿と信康に関する12ヶ条に及ぶ訴状を、父である織田信長に送っています。築山殿と信康がどんなに酷い所業を繰り返してきたかという訴えを、父の信長に伝えた(告げ口した)わけですね。

徳姫がこの訴状を信長に送った理由としては、

・今川の血を引く姑の築山殿(瀬名)と折り合いが悪かった
・嫡子が生まれないことを心配した築山殿が部屋子たちを信康の側室として迎えたことに腹を立てた
・夫の信康とも不和だった(信長が心配するほど)

などが考えられるようです。

※「どうする家康」では、五徳が父の信長から徳川家を監視するように脅されています。いつまでも続く戦に辟易していた瀬名は武田に通じて(反織田の立場で)「平和外交」を志していく見込みで、こうした動きが信長に伝わり、息子の信康とともに窮地に追い込まれていきそうです。

※そもそも築山殿は大変な悪女だったと語られることが多い人物です。後述しますが武田と通じて息子の信康を掲げて謀反を企てたとする説もあります。

徳姫からの訴状を受けた信長が、家康に対して信康の処刑を命じると、家康はやむを得ず(?)信康と築山殿の処遇を決断しています。

当時21歳だった信康は、家康から見ても後継者としての才が見て取れたらしく、処刑を迷う心があったとする説もあります。最終的には信長の命令とあって、息子の処刑を決断したのでしょうね。

まず始めに築山殿(瀬名)が遠江の佐鳴湖近く、小籔村(現在の浜松市中区)付近で徳川家家臣に殺害されると、その半月後には二俣城に幽閉されていた信康が自害をさせられています。

【追記】「どうする家康」では信長が瀬名に激怒か

「どうする家康」の中盤以降では、織田信長に従って戦いに明け暮れる徳川のあり方に対し、瀬名が疑問を感じて自ら行動をしていくことになります(ドラマでは「瀬名の覚醒」と表現)。アンチ織田の立場で平和外交を志すことになった瀬名は、歩き巫女の千代を介して武田と密約。信康を国主に掲げて反信長の立場で、武田と組んで平和的な天下統一を目指すことになりそうです。ところが、この謀(はかりごと)を「おなごのままごと」だと毛嫌いした武田勝頼がこれを世に暴露。瀬名の裏切りを黙認できない信長は、瀬名と信康の処遇を家康に一任することになります。

※「岡崎東泉記」によれば、武田氏が遣わした歩き巫女(スパイ)が岡崎城中にまで入り込み、 築山殿にまで達していたとされます。築山殿は、武田氏が提案してきた信康を国主に掲げるという案に乗って謀反を企てたとする説もあります。徳姫(五徳)の訴状にあった「(築山殿が)信康と共謀して武田氏に内通している」という訴えと辻褄が合いますね。これらの説をもとに、「どうする家康」では「瀬名の覚醒」というストーリーが描かれていきます。

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築山殿は悪女?

ドラマでは太陽のような温かい優しさを見せる瀬名ですが、一般的に築山殿は気性が荒い「悪女」というイメージで語られることが多いようです(息子の信康も暴虐だったと語られることが多い)。これは、妻子を殺してしまった家康の正当性を語るあと付けのものではないかとも言われます。
※「そもそも家康と信康が不仲だった」という説、「信長の娘である徳姫と諍いばかり起こす築山殿と信康を、家康が問題視していた」という説もあります。

築山殿と信康の最期に関しては、その原因が諸説さまざま語られていますので、各種文献を読んでみるのも楽しいかと思います。

恐らくドラマでも史実同様に、最終的には家康が泣く泣く決断を下し、瀬名と信康が亡くなる展開になるのではないでしょうか。

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