NHK大河ドラマ「どうする家康」に登場する瀬名の侍女・たね。
瀬名にいつも寄り添い、瀬名とともに苦楽を共にしていくことになりそうな侍女・たねですが、その関係性ゆえに後に大きな事件を起こす可能性があります。
武家の娘 瀬名の侍女を務めるたね
たね(豊嶋花)は、武家で生まれた若い娘。今川家の筆頭家老・関口氏純の娘である「今川の姫」瀬名(有村架純)の侍女として、駿府の時代から常に瀬名に付き添っています。※関口家の侍女という形だと思われます。
たねは、瀬名の独身時代や、今川の人質だった家康と瀬名との馴れ初めもよく知る人物。瀬名の出産や育児にも常に立ち会い、家康が汚れた手で生まれたばかりの赤子・竹千代(後の信康)を触ろうとすると「洗ってきて!」と家康を追い返すなど(第1話)、瀬名姫を健気に守り続けます。
やがて桶狭間の戦いで駿河の太守・今川義元が討ち死にすると、これに乗じて家康が本拠である岡崎に帰還。家康は落ち目の今川に見切りをつけて独立し、今川の宿敵である織田信長と同盟を結ぶことになります。
駿府に残された瀬名は一転「裏切り者の妻」となり、今川氏真によって幽閉されるなど大変な苦労をすることになるのですが、たねは今川の監視の中、瀬名を献身的に支えていきます。
苦楽を共にし、瀬名を守ることに大きな使命を感じていくたね。そんな生真面目なたねが、後に大きな出来事を引き起こすかも知れません。以下はあくまで当ブログの勝手な予想となりますが、もし予想が当たった場合はネタバレともなりますのでご注意下さい。
▷たねを演じる豊嶋花(とよしま・はな)は、東京都出身の15歳の女優、元子役。5歳の時に映画「外事警察 その男に騙されるな」で口がきけない少女・奥田琴美役に抜擢されると高い演技力で話題に。その後、NHK朝ドラ「あまちゃん」で天野春子(ヒロインの母)の幼少期役、「ごちそうさん」で卯野め以子(ヒロイン)の幼少期役、テレビ朝日系ドラマ「トットちゃん!」で黒柳徹子の幼少期役を演じ、天才子役として地位を確立。近年も「やすらぎの刻〜道」の荒木りん役、「大豆田とわ子と三人の元夫」の大豆田唄役、「祈りのカルテ 研修医の謎解き診察記録」の四十住沙智役など多数作品に出演し、本格的な女優の道を歩み始めている。
【あくまで予想】瀬名の非業の死 そして…
以下、ネタバレ注意です。
史実を参考にすれば、瀬名(築山殿)とその息子・信康は非業の死を遂げることになります。そのキッカケは、信康の妻となる徳姫(ドラマでは五徳姫として登場)という女性。あの織田信長の長女です。
理由は諸説ありますが、徳姫は今川一族出身の築山殿と折り合いが悪かったのか、夫との不仲が激しすぎたのか、築山殿(姑)と信康(夫)に対して不満が募り、父の信長に対して12ヶ条にも及ぶ訴状(要するに告げ口)を送付しています(築山殿が信康と共謀して武田氏に内通している、唐人医師との密通があった、徳姫に関する讒言を信康にした、といった内容)。
これを受けた信長が家康に対し信康の処刑を命じると、家康はやむを得ず(?)妻子の殺害を決断しています。
※【追記】「どうする家康」では、瀬名が信長に追随して戦を続ける徳川のあり方に疑問を感じ、歩き巫女の千代を通じて武田と密約。息子の信康を掲げて武田とともに平和的な天下統一を目指すという「瀬名の覚醒」が描かれていきます。こうした動きが織田信長に伝わり、瀬名と信康の処刑の命が下されそうです。
【あくまで予想】西郷局の死につながる伏線…?
この瀬名(築山殿)の無念の死が、後の出来事の伏線になる可能性があります。
家康は後に天下人となり、継室や多くの側室を迎えるのは御存知の通り。
そのうちの一人、有力な側室である西郷局(ドラマでは於愛の方として登場。広瀬アリスが演じます)の死に、築山殿の侍女が関わっているのでは?という説が存在するのです。
西郷局(於愛の方)といえば、2代将軍・徳川秀忠や尾張清洲藩主・松平忠吉を産み、家中でも人望があった人物。西郷局は38歳の若さで亡くなったとされますが実は暗殺・毒殺された説があり、その実行犯が、主の非業の死に恨みを持っていた築山殿の侍女だったのでは?というストーリーです。
このストーリーはあくまで創作・伝承の域を出ないとのことです。本来ならば家康と築山殿の長子・信康が2代将軍に、築山殿が将軍の母になるはずだったわけであり、後発の側室・西郷局が躍進していく姿を築山殿の侍女が理不尽な思いで眺めていた、なんていう想像も出来ますね。
現在のところ、たねが西郷局の死に関わるのか、そもそもそんなに後年まで瀬名に付き添い続けるのかも不明です。しかし、NHKのドラマ公式ガイドブックでは1ページ分を使い、豊嶋花とたねについての紹介が行われていますので、今後何らかの見せ場があるのではないかと予想します。
※もう一人、築山殿(瀬名)の侍女で数奇な運命をたどった人物がいます。「河井某の娘」と呼ばれる侍女は、佐鳴湖に近い村で築山殿が家康の家臣に殺害されると、自らも佐鳴湖に入水して後を追ったと伝わります。
※別の説として、この「河井某の娘」が築山殿の身代わりとなって殺され、築山殿は生き延びて尼になったという説もあるようです。
ただし「河井某の娘」というのは関口家の侍女ではなく、徳川サイドが築山殿に付けた侍女(家康が重用した上位幕僚・伊奈忠基の娘)とも言われますので、たねの出自(=今川出身の侍女)とは異なります。