「らんまん」第2子「千歳」、第3子「百喜」が誕生 牧野富太郎の子供は何人いた?

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NHK連続テレビ小説「らんまん」第19週では、万太郎と寿恵子の第二子となる子「千歳(ちとせ)」が誕生します。

この「千歳」という名前に込められた意味や、モデル夫婦である牧野富太郎・壽衛子夫妻に何人の子供がいたのかなどをまとめます。

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目次

【らんまん】悲しみを乗り越え第二子「千歳」誕生

著:長田 育恵, 監修:NHKドラマ制作班, 編集:NHK出版
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第一子である長女・園子を突然の病気(麻疹)で亡くしてしまい、なかなか立ち直れずにいた万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)。

深い悲しみが少しずつ癒え始めた6月、寿恵子は母のまつ(牧瀬里穂)に支えられ、第二子(女児)を無事に出産することになります。

まだまだ亡き園子への思いは強い万太郎と寿恵子ですが、新しい命が無事誕生したことに素直に喜びの気持ちを覚えます。万太郎はさまざまな思いを胸に抱えつつ、生まれてきた赤ちゃんに「千歳(ちとせ)」と命名します。

古代中国の哲学書「淮南子(えなんじ)説林訓」などに登場する「鶴は千年亀は万年(鶴の寿は千歳)」にちなむ縁起のいい言葉である「千歳」。

万太郎は生まれてきた赤ん坊がとにかく無事で長生きできるようにという切実な思いをもって、この名前を付けるようです。千歳は「ちーちゃん」と呼ばれて可愛がられ、すくすくと育っていきそうです。

この後、槙野家には次々と子どもたちが生まれていきます。

【参考】その後、槙野家には次々に子供が誕生。亡き園子を含めて5人きょうだいとなっています。

★槙野家の5人きょうだい(演者・生年)

▷長女・園子<早世> ※1884年(明治17年)生まれ。
▷次女・千歳(秋山加奈→入江美月→遠藤さくら)※1886年(明治19年)生まれ。
▷長男・百喜(森本一之新→石川誉→松岡広大)※1888年(明治21年)生まれ?
▷次男・大喜(服部仁信→峰岸慶→木村風太)※1891年(明治24年)生まれ?
▷三女・千鶴(鈴木咲→横山芽生→本田望結→松坂慶子)※1897年(明治30年)生まれ

千歳と千鶴の年齢差は11歳です。

後述するように、モデルである牧野富太郎・壽衛子夫妻は子だくさんでした。

【史実】13人を出産 3男4女が無事に育った牧野富太郎・壽衛子夫妻

「日本の植物学の父」牧野富太郎の生家「岸屋」家系図と、妻の壽衛子の生い立ち・家系図

万太郎・寿恵子夫妻のモデルである牧野富太郎・壽衛子夫妻には、長女の園子を筆頭に実に13人の子供が生まれたとされます。

1893年(明治26年)にはドラマと同様に、風邪をこじらせてしまった第一子の園子を失っています。当時の富太郎は財産整理のために一人で郷里の高知へ長期帰郷中でした。東京に残っていた壽衛子は生まれたばかりの次女・香代を抱えて一人奮闘していたようで、園子を失ったショックは大きかったことでしょう。

悲しい出来事を経験した富太郎・壽衛子夫妻ですが、その後は毎年のように子供が生まれ続けています。

前述したように夫妻には計13人の子が生まれたものの、明治中期はまだまだ多産多死の時代であり、複数の子が夭折。結局13人のうち無事に育ったのは三男四女の7人だけでした。

無事に育った三男四女の子供たちの名前は、上から「香代」「鶴代」「春世」「百世」「勝世「己代」「玉代」。このうち「香代」「鶴代」「己代」「玉代」の4人が女子、「春世」「百世」「勝世」の3人が男子でした。

※「香代」は「らんまん」第二子の千歳に相当すると考えられます。
※「鶴代」は「らんまん」の末っ子・千鶴に相当する人物と考えられます。母の壽衛子亡き後に父の研究を支えた人物です。

園子の急死以降、毎年のよう赤ちゃんが生まれていった牧野家。

この頃の富太郎は帝国大学理科大学の助手となり、人生で初めてのサラリー生活を経験。富太郎は大学から月俸15円を受け取っていましたが、子沢山の牧野家では到底これでは足りません。

富太郎は高利貸しから借金を重ねるうちに首が回らなくなり(借金額は2,000円にまで膨らんだ)、借金取りの対応を出産直後の壽衛子に任せっきりにするなどハチャメチャな家庭生活を送っています。

「らんまん」でも貧乏子だくさんの槙野家の様子や、金にズボラな万太郎を横目に孤軍奮闘する寿恵子の様子などが描かれていく可能性があります。園子を失って茫然自失の寿恵子でしたが、悲しみを乗り越えてより強い「おっかさん」になっていきそうです。

※現在、牧野富太郎の終の棲家となった練馬・東大泉の家は「練馬区立牧野記念庭園」となっていますが、富太郎のひ孫にあたる牧野一浡(かずおき)さんが2010年から学芸員として同施設に従事しています。一浡さんは鶴代さんの孫にあたる人物のようですね。

▼東京谷中の天王寺墓地にある牧野富太郎・壽衛子の墓。お墓の横にある「墓誌」には富太郎の子どもたちの名前も。

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