「らんまん」寿恵子が書いた店のお品書き、渋谷の地図を書き出してみた お仲だんご、松濤園のお茶とボーロなど名物多数

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NHK連続テレビ小説「らんまん」9月8日(金)放送の第115回では、渋谷に店を出すにあたり寿恵子が書き上げた「渋谷の地図」と店の「お品書き(メニュー)」が登場しています。

画面には一瞬しか登場せずに読み取れなかったと思いますので、簡単にその内容を書き出しておきます。寿恵子の店「やまもも」では、渋谷の名物といえる食べ物たちが勢ぞろいしています。

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目次

寿恵子の店「やまもも」のお品書き

▼文春新書「東京の謎(ミステリー) この街をつくった先駆者たち」。第3章には「らんまん」に登場する相島圭一のモデル・五島慶太に関する文章「なぜ五島慶太は別荘地・渋谷に目をつけたのか」も掲載。

渋谷に店を出すにあたり、つぶさに渋谷という町を観察し、町の人たちとたくさん話しをしてきた寿恵子(浜辺美波)。

いよいよ店を出す決意を固めた寿恵子は、渋谷の町の顔といえる弘法湯の佐藤(井上順)らを座敷に呼び出して壮大な「妄想」を語るとともに、渋谷の名物を集めた店の「お品書き」を佐藤たちに見せています。

この「お品書き」に書かれたメニューは、どれも寿恵子が自分の足で稼いで集めた素晴らしい渋谷の逸品たち。渋谷という町の魅力を詰め込んだ店にしたいという寿恵子の願いが込められているのでした。

以下、寿恵子による「お品書き」を書き出してみます。各メニューには寿恵子が渋谷の逸品として選定した理由がありますので、わかる範囲でまとめます。

おしながき

松濤園(茶) ボーロ

前菜
季節の酢あえ
しじみの醤油漬け
ねじりこんにゃく
あさりの時雨煮

造里(つくり)
三種盛り 佐賀屋

焼物
鯛の焼物 伊勢屋

揚物
天婦羅 屋臺濱天

煮物
煮魚 添野菜 屋臺だるま

留肴(とめざかな)
島貝酢味噌 楢本屋

食事
握り飯 居酒屋荒谷

甘味
お仲團子 お仲だんご
豆大福 三葉堂

このお品書きのうち、寿恵子が逸品として選定した理由がわかるものをざっと解説しておきます。

▷「松濤園、ボーロ」…茶屋の前で出会った芸者のとよ香、葉月が食べていたポルトガルのお菓子「ボーロ」。ポルトガル語で「ケーキ」を意味します。渋谷一帯の土地を所有している鍋島家はもともと佐賀のお殿様であり、そのお殿様が佐賀から渋谷に来た時に、「ボーロ」を作る菓子職人も一緒にこの地に連れてきたのだとか。南蛮渡来のカステラと同じ原料の菓子が佐賀では「丸ぼうろ」として伝わったとされ、今でも佐賀の銘菓となっています。

「松濤園(しょうとうえん)」は、御三家・紀州藩徳川家の下屋敷だった土地を元佐賀藩主の鍋島家が払い下げにより引き継ぎ、この地に開いた茶園。作られたお茶は「松濤(茶)」という名のブランドで売り出されています。

寿恵子は渋谷の地図(後述)に「ボーロはポルトガルの菓子 誠に美味也 深蒸し茶に合ふなり 此は松濤園の茶也」「渋谷は茶の名所なりしが近頃は静岡や宇治の茶が人気也 誠に残念なり」と書き込んでいます。

「やまもも」では神泉の水を使って淹れた松濤園の銘茶とともに、松濤茶が練り込まれた特製の「ボーロ」がお茶菓子として提供されていきます。

▷前菜「しじみの醤油漬け」「あさりの時雨煮」…前菜として出されるお惣菜たち。寿恵子は渋谷を歩く中で多くの棒手振り(行商人)を目撃しており、「アサリ賣、シジミ賣の棒手振り 竝(ならび)に納豆賣も居るなり」と渋谷の地図に記しています。恐らく江戸前の新鮮な魚介類がその日のうちに渋谷に届いているのでしょう。

▷屋臺濱天「天婦羅」屋臺だるま「煮魚 添野菜」…寿恵子が作成した渋谷の地図には、それぞれ「此邊の屋臺(屋台)の天婦羅は海老が絶品也」(宮益坂の店)、「屋臺(屋台)の蕎麦及煮魚ハ美味也」(道玄坂の店)、「湯ノ客竝(ならび)ニ宿醉ノ者が屋臺(屋台)ニ竝(なら)ビ居ルナリ」(道玄坂付近)などと書かれています。棒手振りにより渋谷に届けられた江戸前の新鮮な魚介類が、美味しい屋台メシとなって湯治客や酔客など往来の人に提供されているようです。

▷居酒屋荒谷「握り飯」…待合茶屋「やまもも」の向かいにある居酒屋「荒谷」。店主の荒谷佐太郎はやる気が全くない酔っ払いですが、その母・カネが作った握り飯は醤油と味醂で鰹節をしっかり炊いて味付けした丁寧な逸品。鮭の握り飯も旨い。荒谷は畑仕事の連中を相手にひっそりと握り飯を売っていましたが、寿恵子が試しにこれを買って帰ったところ家族に大好評となり、渋谷を好きになるキッカケになっています。

▷お仲だんご「お仲團子」…寿恵子は渋谷の地図の町外れに「此近傍ニお仲だんごト云フ有名ノ店アリト聞ク」と記しています。現在音楽スタジオ「ビクタースタジオ」となっている仙寿院の参道下付近(渋谷区神宮前2丁目)には、江戸時代から明治元年まで「お仲だんご」という団子屋があったそうです。「お仲だんご」は「江戸名所図会」や歌川広重の浮世絵にも登場する古くからの名物。詳細は不明ですが、「お仲」という評判の美人さんにちなんだお菓子?

寿恵子が作成した「渋谷の地図」

フィールドワークを生命線とする万太郎を見習い、渋谷の町を徹底的に歩き、観察をしてきた寿恵子。やがてその成果は詳細な「渋谷の地図」となり、その出来栄えに万太郎が感嘆しています。

「らんまん」寿恵子が作った渋谷の地図
「らんまん」寿恵子が作った渋谷の地図

地図には寿恵子が足で稼いだ渋谷の町の情報がたくさん書き込まれています。読み取れるものを以下にざっと書き出しておきます。

今や東京を代表する繁華街となっている渋谷ですが、明治中期はまだまだ長閑な場所だったことが伺えます。町のあちこちに面白いものが転がっており、寿恵子が渋谷という町にポテンシャルを感じたのもわかります。

【道玄坂方面(画面左側・渋谷停車場の西側方面)】
「大山街道の一部なり 参詣の旅人多し」(大山街道)
「神泉弘法湯賑々シキ所ナリ」(神泉)
「荒谷ノ家二ハ老婆が居ル也 老婆ハ荒谷佐太郎の母ナリ」(道玄坂付近)
「渋谷は茶の名所なりしが近頃は静岡や宇治の茶が人気也 誠に残念なり」(松濤園)
「ボーロはポルトガルの菓子 誠に美味也 深蒸し茶に合ふなり 此は松濤園の茶也」(松濤園)
「此邊ハ一面茶畑ナリ」(松濤園)
「屋臺(やたい)の蕎麦及煮魚ハ美味也」(道玄坂の屋台)
「アサリ賣シジミ賣の棒手振り 竝(ならび)に納豆賣も居るなり」(道玄坂付近)
「渋谷の藝者は他所より進出されし者多シ」(道玄坂付近)
「裸体の兵卒が相撲を取るゆえ見る者多し 人気もあり」(道玄坂付近)
「湯ノ客竝(ならび)ニ宿醉ノ者が屋臺(やたい)ニ竝(なら)ビ居ルナリ」(道玄坂付近)

【宮益坂方面(画面右側・渋谷停車場の東側方面)】
「富士の見へし處にて富士見坂也」(富士見坂)
「金王八幡宮境内ハ櫻ノ名所ナリ」(金王八幡宮)
「江戸名所圖會も記せし名所なり」(宮益坂)
「此邊の屋臺(やたい)の天婦羅は海老が絶品也」(宮益坂途中の店)
「此店の豆大福は餡子が絶品也」(宮益坂途中の店)
「葡萄畑アリ」(宮益坂の外れ)
「此邊りは雑木林なり」(宮益坂の外れ)

【その他、渋谷停車場方面、町外れ】
「明治拾八年ニ開業ス」(渋谷停車場)
「停車場の北に水車あり」(渋谷停車場近く)
「此近傍ニお仲だんごト云フ有名ノ店アリト聞ク」(渋谷川の近く)

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