「らんまん」植物学者・里中芳生(いとうせいこう)のモデルは田中芳男 牧野富太郎と親交があった「日本の博物館の父」

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NHK連続テレビ小説「らんまん」に登場する万太郎憧れの植物学者・里中芳生(さとなか・よしお)についてまとめます。

この里中芳生という人物は、牧野富太郎と親交があった博物学者・田中芳男(たなか・よしお)がモデルとなっています

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万太郎、東京で憧れの植物学者・里中芳生に対面

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里中芳生(いとうせいこう)は、万太郎が少年時代に見た「植物図」の作者の一人で、万太郎憧れの植物学者です。

第2回内国勧業博覧会への峰屋の参加を口実に、初上京を果たすことになる万太郎。上京後にさっそく里中やもう一人の憧れの学者・野田基善(田辺誠一)らがいる「博物館」内の研究所に足を運ぶと、憧れの人と初対面を果たすことになります。

多数の植物画が描かれたスケッチブックを手にした万太郎を見た里中と野田は、その熱意に感心し、突然やって来た万太郎を歓迎します。二人は万太郎に顕微鏡や標本を見せてくれるほか、植物分類学の基礎なども熱心に教えてくれます。

万太郎は里中と野田と出会い、植物学の奥深さを知ることになります。

※里中芳生を演じるのは、東京都出身のいとうせいこう。タレント、ラッパー、作家、俳優として知られるほか、趣味の園芸・家庭菜園好きが高じて「ベランダー」を自称。エッセイ「ボタニカル・ライフ 植物生活」がNHKにより「植物男子ベランダー」としてドラマ化されるなど、植物学にも造詣が深いことで知られます。牧野富太郎マニアを自称しており、その師というべき田中芳男をモデルにした役柄を演じられることに大きな喜びを感じているようです。

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モデルは「日本の博物館の父」田中芳男

万太郎憧れの学者・里中芳生は、「日本の博物館の父」と呼ばれ、万太郎のモデルである牧野富太郎とも親交があった博物学者、植物学者、物産学者の田中芳男(たなか・よしお=1838-1916)がモデルになっています。

天保年間に信濃国伊那郡の飯田城下で医師の息子として生まれた田中芳男。長崎で蘭学を学んだ父の影響もあり、早くから医学、本草学、化学などに親しむと、本草学者、蘭学者、博物学者、医学者として著名だった名古屋の伊藤圭介のもとで学んでいます。

師匠の伊藤圭介が幕府の蕃書調所(後に洋書調所に改称)に招聘されると、田中芳男も助手として出仕。物産学や本草学の研究開発に従事しています。その後、パリ万国博覧会に出展する昆虫標本の採集と製作を幕府から命じられると、自らもパリ万博に出張。田中芳男が製作した昆虫標本は現地の研究者から高い評価を獲得しています。

明治維新後は大阪舎密局の建設に従事したほか、物産局(後に経済産業省へと発展)の創設に貢献。明治新政府の官僚として、殖産興業を目的とした博覧会、物産展の開催に何度も関わり、1873年(明治6年)開催のウィーン万国博覧会にも派遣されています。

1875年(明治8年)には町田久成らとともに上野の博物館・動物園の建設に尽力。現在も東京国立博物館や上野動物園として愛される上野の文化施設の基礎を作っています。

その後も、農商務省博物局長を務めた後、元老院議官、貴族院議員、大日本山林会会長、日本園芸会副会長などを歴任。明治新政府が推進した殖産興業に努め、日本の博物館行政や農林水産業の発展に大きく貢献した人物として知られます。

牧野富太郎との出会い

「らんまん」主人公のモデル・牧野富太郎と田中芳男との出会いは、1883年(明治16年)のこと。

高知・佐川町の商家「岸屋」の当主だった富太郎は、第2回内国勧業博覧会見学のために初上京すると、その足で文部省の博物局を訪ね、憧れだった田中芳男や植物学者・小野職愨(おの・もとよし。ドラマでは野田基善として登場)らと出会っています。

富太郎は、田中芳男が日本語訳をした「デ・カンドルレ氏植物自然文科表」を郷里・佐川で愛読していたほか、田中芳男の描いた博物図(博物局が製作)を佐川の小学校で見て感銘を受けており、念願かなっての田中芳男との初対面だったようです。

富太郎の植物学への熱意をすぐに理解した田中芳男は、突然やって来た富太郎を温かく迎え入れ、小野職愨とともに小石川植物園を案内するなど交流を深めています。小野職愨は自宅に富太郎を呼び、たくさんの書物を富太郎に見せてあげたそうです。

後に富太郎は再上京し、東京大学の植物学教室への出入りを許されることになりますが、これも田中芳男や師匠の伊藤圭介の力添えがあったとされます。

田中芳男と牧野富太郎はその後も本の貸し借りをするなど、田中が亡くなるまで親交が続いたそうです。

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