【エール】佐藤久志が歌う「露営の歌」【勝って来るぞと勇ましく】

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NHK連続テレビ小説「エール」9月21日放送回で、で古山裕一が作曲し佐藤久志が歌う「露営の歌」が登場します。

この「露営の歌」は古関裕而作曲による戦時下のヒット曲として知られます。

五十万枚突破の大ヒット「露営の歌」

昭和12年(1937年)に日中戦争が勃発すると、戦意高揚のための戦時歌謡へのニーズが高まっていきます。

ある日、裕一(窪田正孝)は新聞の公募の入選作「露営の歌」の歌詞を見て着想を得ると、すぐさま曲を書きあげます。この「露営の歌」を研究生だった佐藤久志(山崎育三郎)が歌い発売すると、すぐに国民の心をとらえることになります。

「露営の歌」は歌詞の勇ましさもあって、出征する兵士の見送りの際に歌われるようになり、50万枚超えの国民的大ヒットを記録するのです。

▼キザ男・久志が戦時歌謡の名曲をどう歌い上げるのか、楽しみです。

毎日新聞が歌詞を公募「勝って来るぞと勇ましく」

「露営の歌(ろえいのうた)」は、裕一のモデル・古関裕而が作曲し、久志のモデル・伊藤久男らが歌った実在の戦時歌謡(軍国歌謡)曲です。

昭和12年に盧溝橋事件が発生し日中戦争が広がりを見せると、新聞社、国内レコード会社各社は国民の戦意高揚のために軍国歌謡の企画、製作に乗り出し始めます。

同年、大阪毎日新聞社と東京日日新聞(←それぞれ毎日新聞の西日本、東日本における題号)が大陸での進軍を後押しするための歌の歌詞を募集すると、第一位に「進軍の歌」、第二位に「露営の歌(※)」が選定されています。
(※)京都市役所に勤務していた籔内喜一郎によって書かれた詞が、北原白秋や菊池寛らによって「露営の歌」と命名されています。 

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古関裕而、依頼前に鉄道車中で作曲

当時、古関裕而は妻・金子の兄たちに会うために夫婦で満州に旅行中でした。のんびりとした帰国の船旅の途中で、日本コロンビアから急ぎの作曲の依頼が入ったという電報を受け取ると、夫婦は大急ぎで下関から東京へと戻ることになります。

その急ぎの道中、古関は「東京日日新聞」に掲載されていた入選作「露営の歌」の歌詞と、選者だった北原白秋がこの詞を激賞するコメントを目にしています。

「勝って来るぞと勇ましく」という勇壮な歌詞に心を惹かれた古関は、下関から東京へと向かう道中・山陽線の各駅で見かけた出征兵士を見送る光景などを目にすると、大陸・旅順で見てきた戦争の爪痕の光景などと相まって、ふっと「露営の歌」の哀調あるメロディが頭に浮かんだそうです。

この時、古関裕而はまだ作曲の依頼をされていたわけではありませんが、浮かんだメロディを楽譜に書き起こしていました。帰京後、日本コロンビアの社員から急ぎの作曲依頼が「露営の歌」であることを知らされた古関は、「あ、それならもう車中で作曲しました」と言って、スッと楽譜を差し出したというエピソードが残っています。

60万枚超えの大ヒット

「露営の歌」はすぐに伊藤久男、霧島昇、松平晃ら日本コロムビアの男性歌手陣が総動員され、録音が行われました。昭和12年9月、日本コロンビアからレコードが発売されています(A面:進軍の歌・陸軍戸山学校軍楽隊作曲)。

戦地からの新聞記事により、A面の「進軍の歌」よりもB面の「露営の歌」の方が兵士たちに愛唱されているとの声が届くようになると、次第に「露営の歌」は国民に広く浸透。

レコードの売上は60万枚を超え、東京市中のレコード店からひっきりなしに「露営の歌」が流れ続けるようになり、各駅での出征兵士の見送り風景で「露営の歌」の合唱が聞かれるなど、当時の有名な歌謡曲の一つとなっています。

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