【エール】若鷲の歌(映画「決戦の大空へ」) 古関裕而作曲の「予科練の歌」

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NHK連続テレビ小説「エール」劇中に登場する「若鷲の歌」(予科練の歌)についてまとめます。

「若鷲の歌」は、戦時中に古関裕而が作曲した実在の曲。当時の作曲の経緯などもまとめます。

予科練習生たちのための歌「若鷲の歌」

「露営の歌」「暁に祈る」などをヒットさせ、戦時歌謡の第一人者となった裕一(窪田正孝)。

日本の戦局が悪化するなかで、予科練習生(ヨカレン)たちの成長を描く映画「決戦の大空へ」の製作が決定すると、裕一はその主題歌の作曲依頼を受けることになります。

裕一は、実際に予科練の様子を見学した著名な作詞家・西條八十(中野英樹)から歌詞を受け取ると、苦心の末に「若鷲の歌」を書き上げます。

出来上がった曲を予科練の人たちに聞かせるため、裕一は三隅と一緒に汽車に乗るものの、その出来に不満を感じていた裕一。三隅に対し、一日でもいいので実際に予科練の様子を見学したいと訴えます。

若い血潮の予科練の…一日体験入隊

▼古関裕而「戦時下日本の歌」。「暁に祈る」「露営の歌」「若鷲の歌」などが収録されています。

この「若鷲の歌」は、裕一のモデル人物である古関裕而が作曲した実在の曲です。

日米による航空消耗戦が南方で繰り広げられ始めていた昭和18年。

古関は、東宝で制作されることになった「海軍航空隊・予科練習生をテーマとした映画(題名:決戦の大空へ)」の主題歌の作曲依頼を受けています。※映画「決戦の大空へ」は、時代のホープとされた「海軍飛行予科練習生」を募集するために宣伝目的で制作されました。

さっそく古関は作詞を担当する西條八十(「東京音頭」「青い山脈」「蘇州夜曲」ほかを作詞)やディレクター陣とともに、曲作りの着想を得るために茨城の土浦航空隊に一日入隊。若き予科練習生たちの、熱心で探究心あふれる訓練風景を見学する機会を得ています。

後日、西條八十による「若き血潮の予科練の〜」という歌詞を受け取った古関はさっそく作曲にとりかかりますが、今ひとつしっくり来る曲が書けません。

常磐線車内で短調の曲を思いつく

航空隊からの激しい催促もあり、古関は長調を基調とした曲を書き上げますが、本人は今ひとつ出来に納得していませんでした。

そして航空隊に曲を披露する当日。土浦に向かう常磐線の車内で曲の不出来に悶々としていた古関でしたが、利根川に差し掛かり茨城県に入ったあたりで、ふと短音階のメロディーが頭に浮かびます。

古関はこのメロディーをすぐに五線紙に書き留めると、同行していた歌手・波平暁男や作詞担当の西條八十らに手渡しています。

生徒たちが短調の曲を支持

航空隊に到着すると、さっそく波平暁男の歌声により、教官たちの前で長調と短調の2パターンの曲が披露されました。

この時、ほとんどの教官は明朗である長調の曲の方が良いと言ったそうですが、「せっかくだから生徒たちに決めてもらおう」という教官たちの粋な計らいにより全生徒に聞かせたところ、ほぼ全員が短調の曲を支持。こうしてキャッチーながら胸にグッと迫る「若鷲の歌」のメロディーが決定しています。

映画と曲が大ヒット 特攻隊出撃の見送り曲にも

同年、全国で一斉に封切りされた映画「決戦の大空へ」(主演・原節子、高田稔)は、多くの少年たちに鑑賞されました。主題歌「若鷲の歌」も少年たちの心をつかみ、23万枚の大ヒットを記録。映画鑑賞後には映画の余韻にひたり、大勢の少年たちが「若鷲の歌」を外で歌っていたそうです。

こうして少年たちの憧れとなった予科練でしたが、戦争終盤にかけて多くの戦死者を出すことになります。特に戦争末期には予科練習生が特攻隊員の中核となり、多くの予科練出身の若者が命を落としています。

「若鷲の歌」は特攻隊員がいざ出撃という際に、見送りの歌として涙とともに歌われたそうです。若者たちは飛行場に流れる「若鷲の歌」を聞き終わると、片道切符である大空へと出撃していったのです。

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