「虎に翼」亡くなってしまう主要登場人物 死因まとめ 愛すべきキャラクターたちが次々と…

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」では、物語の進展とともに寅子の大切な人たちが次々に亡くなってしまい、劇から退場をしていきそうです。

この記事では公式ガイドブックで事前に公表されているあらすじから、亡くなってしまう主要登場人物とその死因をまとめます。多くのネタバレを含みますので、知りたくない方はページをそっと閉じてください…。

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目次

【史実では?】終戦前後に複数の家族を亡くした三淵嘉子

寅子のモデルである三淵嘉子は、終戦前後に複数の家族を失っています。

【戦争前後に亡くなった三淵嘉子の関係者】

▶弟・武藤一郎(武藤家長男)…1944年(昭和19年)、召集後、沖縄に向かう船が鹿児島湾沖で沈没し死亡。
▶夫・和田芳夫(武藤家の元書生)…中国出征中に持病の肋膜炎が悪化し、1946年(昭和21年)5月に長崎の病院で死亡。
▶母・武藤信子…1947年(昭和22年)1月、庭先で洗濯物を干していた時に倒れ、そのまま脳溢血で急死。
▶父・武藤貞雄…信子が亡くなって9ヶ月後の1947年(昭和22年)10月、肝硬変で死亡。貞雄は信子の急死で酒量が急増していた。

三淵嘉子は終戦前後に愛する実弟、夫、母、父を次々に亡くしています。嘉子と芳夫の間には長男の芳武が生まれており、嘉子は悲しみを抱えつつも一家の大黒柱としての責任感を強く感じていたそうです。

この史実を踏まえると、「虎に翼」でも愛する家族を失う辛い展開が予想されます。以下、「虎に翼」のあらすじから、劇中で亡くなってしまう主要登場人物をピックアップします。

「虎に翼」で亡くなる人たち まさかのあの人も…

「虎に翼」では史実と同様に、戦争の時代に寅子の大切な人たちが次々と亡くなっていきます。

【第9週】花江の両親(米谷真一、信子)が東京大空襲で亡くなる

1945年(昭和20年)3月10日に東京大空襲が発生。

この少し前に猪爪家は工場がある川崎・登戸に引っ越しており、直言やはるは無事。寅子や花江(森田望智)、子どもたちも疎開先に居たため無事でしたが、花江の両親である米谷真一(横堀悦夫)、米谷信子(赤間麻里子)が空襲に巻き込まれて亡くなってしまうようです。

【第9週】兄・猪爪直道が戦死

「俺にはわかる!」の決め台詞でおなじみの、猪爪家長男・直道(上川周作)。

愛すべきキャラクターだった直道ですが、第8週で赤紙が届くと、息子の直人と直治に対し「お母さんを頼んだよ」と言って出征。終戦が迫っていた1945年(昭和20年)7月に、直道が戦死したという知らせが猪爪家に届くことになります。

妻の花江は空襲で両親を亡くしたばかりであり、大きな心の傷を負ってしまいそうです。

※直道の戦死は、三淵嘉子の実弟・武藤一郎の戦死がモデルになっていると思われます。

【第9週】夫・佐田優三が戦死

寅子の夫・佐田優三(仲野太賀)も出征後に亡くなってしまいます。

第8週で赤紙が届き出征する優三ですが、戦争が終わっても帰らずに音信不通に。寅子は優三の無事を願って暮らしますが、終戦から一年が過ぎていた1946年(昭和21年)の秋の日に、父の直言が隠していた優三の死亡告知書を見つけてしまいます。

戦後の工場の閉鎖などの苦労がたたり激しく衰弱していた直言は、「今トラが倒れたら家が駄目になる」と考えて優三の死をひた隠しにしていたようです。

優三の死をなかなか受け入れられなかった寅子ですが、復員を待つ収容所の病室で優三と隣同士だったという男性と出会い、優三の死の経緯を知ることになります。

※優三の死は、三淵嘉子の最初の夫・和田芳夫の死がモデルになっています。

【第9週】父・猪爪直言が衰弱死

戦時中に軍の仕事が入り工場が潤っていた直言ですが、軍需工場だったゆえに戦後には廃業状態に。直言は心労と過労が重なった末に倒れ、みるみる衰弱してしまいます。

そして1946年(昭和21年)の秋。ひた隠しにしていた優三の死亡告知書が寅子にバレてしまうと、直言は号泣しながら寅子に謝罪。その数日後に直言は亡くなってしまいます(第9週)。

※直言の死因の詳細は不明ですが、三淵嘉子の父・武藤貞雄の死(肝硬変)がモデルになっていると考えられます。

【第11週】花岡悟が栄養失調で餓死

1947年(昭和22年)、司法省の民法調査室で働いていた寅子は、久しぶりに再会した旧友・花岡悟(岩田剛典)の助言を受けたこともあり、充実した仕事ぶりを見せていました。

ところがその年末。寅子は花岡が餓死したという衝撃の報せを受けることになります。この時の花岡は東京地裁で食糧管理法違反の事案を担当していたようですが、花岡は律儀に法を守って闇市に流通する食物を一切口にせず、栄養失調に陥っていたのだとか。

寅子は亡き花岡との思い出の場所である日比谷公園に行くと、花岡が守ろうとした大切な物を自分も守っていく、と涙ながらに決意を宣言することになります。

※花岡の死は、山口良忠という若き裁判官の死がモデルになっていると思われます。山口裁判官は、終戦後の1946年(昭和21年)に食糧管理法違反の裁判を担当していた際に「違法行為を裁く自分が法を犯して闇米を食べるわけにいかない」として栄養失調になり、肺結核を併発させた末に若くして亡くなっています。

【第11週(追記)】カフェ燈台のマスター・増野が空襲で亡くなっていたことが判明

第11週では、山田よねがお世話になった上野のカフェー「燈台」のマスター(平山祐介)が東京大空襲で亡くなっていたことが判明。ともに逃げたよねは腕に傷を負ったものの無事でした。

【第12週】母・猪爪はるが心臓発作で亡くなる

直言の死から3年後の1949年(昭和24年)。

寅子が上野で出会い家に連れてきた戦争孤児・道男を可愛がっていたはる(石田ゆり子)ですが、ある誤解により道男が家を出ていってしまうと、心配を重ねた末に心臓発作を発病。はるはそのまま亡くなってしまいます。

※史実では妻の信子が脳溢血で夫より先に亡くなり、その悲しみにより酒量が増えていた夫の貞雄が9ヶ月後に肝硬変で亡くなっています。

【第13週】梅子の夫・大庭徹男が亡くなる

1949年(昭和24年)、家庭裁判所でさまざまな相談を受けていた寅子は、そこで旧友の梅子(平岩紙)と再会します。

夫の徹男(飯田基祐)と離婚をしていたはずの梅子ですが、その後に三男の光三郎とともに大庭家に連れ戻されると、病気で倒れた徹男の世話を十年以上に渡り続けていたのだとか。最近徹男が亡くなったため、梅子は遺産相続をめぐり姑や3人の息子たちと揉めており…。

【第14週】初代最高裁長官・星朋彦が亡くなる

1950年(昭和25年)。初代最高裁長官・星朋彦(平田満)は、寅子に自身の戦前の著作「日常生活と民法」の改訂作業を頼んでいました。もうすぐ改訂作業が終わり出版が行われるかという頃、星朋彦は亡くなっています。長年病と戦い続けていたことは、近しいわずかな人にしか知らせていなかったのだとか。

【第14週】恩師の穂高先生が亡くなる

1950年(昭和25年)、体調不良により最高裁判事を辞任した穂高先生(小林薫)。退任を祝う祝賀会で寅子は長年くすぶっていた怒りを穂高先生にぶつけてしまい、険悪な関係になってしまいます。

その後、寅子と和解した後に穂高先生は亡くなり、寅子は竹もとで久藤、桂場、多岐川らとともに献杯をしています。

【第20週】お手伝いの稲が亡くなる

1953年(昭和28年)の始め頃。花江の実家のお手伝いさんだった縁により新潟での寅子の生活を支えてくれていた稲が穏やかに亡くなっています。晩年の稲は寅子の仲介もあり「ライトハウス」の涼子様や玉らと交流を持ち、楽しそうに暮らしていました。

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