NHK連続テレビ小説「ブギウギ」のヒロイン・花田鈴子の家系図、家族構成、兄弟などをまとめます。
モデルとなっている「ブギの女王」笠置シヅ子の家系図や家族構成、兄弟もあわせてまとめておきます。ドラマのネタバレとなってしまう部分も含みますのでご注意ください。
【ブギウギ】亀井家の長女・鈴子 香川生まれ大阪育ち
「ブギウギ」のヒロイン・花田鈴子は、香川生まれの大阪育ち。大阪の下町・福島で銭湯「はな湯」を営む花田梅吉、ツヤ夫妻の長女です。
鈴子には双子の兄・武一(たけいち)がいましたが3歳の時に病死。花田家は梅吉、ツヤ、鈴子、そして3歳下の弟・六郎の4人家族です。
今後に向けて覚えておいたほうがよい花田家の情報は以下の通り。
・両親の梅吉、ツヤともに香川出身。梅吉は映画を作る人になりたいという夢を持って15年前に香川から大阪に出てきている。その後に梅吉の思いつき?で銭湯を開業している。
・第4週〜5週では「香川編」が描かれる。香川にはツヤの母・大西トシや、ツヤの妹・大西タカ、梅吉の弟・松吉らがいる。香川編では鈴子の生い立ちや知られざる過去が判明する見込み。
・亡き双子の兄・武一の存在が鈴子の生い立ちの解明に関与してくる可能性がある(誕生日の辻褄があわない?)。
・第1話冒頭で、シングルマザーとなり娘のアイ子を育てている鈴子(福来スズ子)が登場済み。アイ子が誰との間に出来た子なのかに注目。
【史実モデル】笠置シヅ子の家系図、家族構成まとめ ※ネタバレ注意
続いて、ヒロインのモデルとなっている歌手・笠置シヅ子(本名・亀井静子)の家族構成、家系図についてまとめます。
ドラマ「ブギウギ」でも史実に追従することになると思いますが、笠置シヅ子の生い立ちは少々複雑です。ネタバレとなる要素も含みますのでご注意を。
★史実のモデル人物(左)と「ブギウギ」登場人物(右)との対応表。
・亀井静子(笠置シヅ子) → 花田鈴子(福来スズ子)
・亀井音吉(養父)→ 花田梅吉(父)
・亀井うめ(養母)→ 花田ツヤ(母)
・亀井正雄(一ヶ月違いの弟)→ 花田武一(双子の兄)
・亀井八郎(弟)→ 花田六郎(弟)
・亀井エイ子(娘)→ 花田アイ子(娘)
・三谷陳平(実父)→ 治郎丸菊三郎
・三谷陳平の父(実祖父)→ 治郎丸和一
・谷口鳴尾(実母)→ 西野キヌ
・吉本穎右(恋人)→ 村山愛助(恋人)
・吉本せい(吉本興業創業者) → 村山トミ(村山興業創業者)
笠置シヅ子 出生の秘密
▼笠置シヅ子の人生を知りたいのであれば、潮文庫の「ブギの女王・笠置シヅ子」がオススメ。関連本はたくさん出ていますが、この一冊が特にわかりやすくまとまっていると思います。
笠置シヅ子は1914年(大正3年)に香川県大川郡相生村(現在の香川県東かがわ市)で生まれています。
シヅ子の実父は相生村黒羽の地主の一人息子で郵便局員だった三谷陳平で、実母は三谷家に住み込みで和裁を習いながら家事見習いをしていた若い女性・谷口鳴尾。
一つ屋根の下で暮らしていた陳平と鳴尾の間にはやがて子供(シヅ子)が出来るのですが、三谷家が二人の結婚に猛反対。結局結婚が叶わなかった鳴尾は、生まれたばかりの赤ちゃん(シヅ子)を連れて隣接する引田地区の実家に戻っています。※陳平はシヅ子が生まれた翌年に25歳の若さで病気で亡くなっています。
実家に戻りシヅ子を育てていた鳴尾ですが、母乳の出がずいぶんと悪かったらしく、たまたま出産のために大阪から近所の家に帰省していた女性・亀井うめ(「ブギウギ」花田ツヤのモデル)に「もらい乳」を頼んでいます。
この亀井うめという女性は大変な人情家でした。うめは乳をあげるうちにシヅ子に情が湧いた上に、まだ18歳前後と若かった未婚の母・鳴尾の事情を考慮し、亀井家でシヅ子を引き取って育てたいと申し出ています。
うめは引田でメリヤス工場などを営む中島家当主の妹で、大阪市福島区で米・薪炭などを扱う商売(後に銭湯を開業)をしていた亀井音吉に嫁いでいました。この里帰り出産の時点で音吉・うめ夫妻にはすでに頼一という長男がおり、さらに今回の帰省で次男の正雄も誕生しています(シヅ子の誕生から一ヶ月後)。
大変な状況ではありましたが、うめは正雄とシヅ子という二人の赤ちゃんを連れて大阪へと戻り、出迎えた夫の音吉を「うわあ、どないしてん、双子かいな!」と驚かせています。以降、シヅ子は出生の秘密を知ることなく亀井家の長女(養女)として大切に育てられています。
その後、音吉・うめ夫妻には3人目の男子となる八郎(「ブギウギ」花田六郎のモデル)が生まれています。シヅ子は2歳年下だった弟・八郎をとても可愛がったそうです。
シヅ子は17歳になった時に香川で行われた実父・三谷陳平の17回忌に出席させられ、そこで自身の出生の秘密を知ることになります。※そもそも3歳で死んでしまった弟の正雄の生年月日が自分と一ヶ月しか違わないことに薄々気がついており、おかしいと思っていたようです。
この香川の帰郷の際、シヅ子は実母の谷口鳴尾とも対面しています。しかし鳴尾はよそよそしい態度にも見え、結局お互いに実の母子であることを名乗り出ないままで別れています。シヅ子はこの出来事を養父母(音吉、うめ)には決して言わず、養父母への感謝をより深めて生きていったそうです。
※この谷口鳴尾との対面の際、シヅ子は鳴尾の横に6歳くらいの男の子がいるのを見ています。この男の子がシヅ子の異父弟である可能性があります。
吉本興業の御曹司・穎右との熱愛 娘のエイ子を出産
笠置シヅ子は生涯未婚を貫きましたが、戦時中に吉本興業創業者の吉本せいの息子・吉本穎右(よしもと・えいすけ)と恋に落ち、やがて穎右の子を身ごもっています。
吉本せい・吉兵衛夫婦には2男6女が生まれましたが相次いで早世しており、残された男子の穎右は病弱ながら吉本興業の後継者として期待されていました。そのため吉本せいは穎右とシヅ子の結婚に猛反対しており、結局二人の結婚が叶うことはありませんでした。
1947年(昭和22年)、穎右はシヅ子の妊娠中に結核により23歳の若さで死去しています。
愛する人の死からわずか数日後、シヅ子は穎右との娘であるエイ子を出産しています。シヅ子は穎右への想いから生涯独身を貫くとともに、エイ子を女手ひとつで大切に育てています。
この出産当時、シヅ子は「東京ブギウギ」の大ヒットでスターダムにのしあがっていました。女手ひとつで舞台に立つシングルマザー・笠置シヅ子は、特に苦しい生活を送っていた「パンパン」と呼ばれる身体を売る女性たちから絶大な支持を受けました。
▼吉本穎右と出会う前には、御曹司との淡い初恋も…。
亀井音吉・うめの血筋は断絶か
残念ながらシヅ子の養父母となった亀井音吉・うめ夫婦の血筋は断絶してしまったようです。
次男の正雄が幼少期に早世し、長男の頼一も早くに亡くなったという亀井家。唯一残された実子・八郎もやがて若くして戦争に取られ、1941年にベトナム沖の海上で戦火に散っています。
音吉はこの時点で愛妻のうめにも病気で先立たれており、養女だったシヅ子だけが頼りとなっていました。シヅ子はうめと八郎を失って生きる気力をなくしていた音吉を東京に呼び寄せて一緒に暮らしていましたが、空襲で自宅が焼けたことで音吉は郷里の香川に帰っています。
「ブギウギ」でも陽気だった梅吉が愛する妻と息子を失い、やさぐれていく姿が描かれるかも知れません。