NHK連続テレビ小説「らんまん」9月19日(火)放送の第122回より。
ついに大学を辞職する決意を固めた万太郎に対し、徳永教授が贈った万葉集収録の大伴家持の歌「この雪の 消残る時に いざ行かな」が持つ意味などをまとめます。
大学を離れる万太郎に贈った餞別の歌
紀州熊野の南方熊楠、そして盟友の野宮朔太郎(亀田佳明)の訴えかけに共鳴し、神社合祀令に反対の立場をとるようになっていた万太郎(神木隆之介)。
帝国大学植物学教室は国に従うべき研究機関であると考える徳永教授(田中哲司)は、そんな万太郎の動きを強く牽制し、助手として自身の研究に専念するように訴えかけていました。
しかし神社の森を守りたいという万太郎の気持ちは揺るがず、ついには教授室に徳永を訪ねて辞表を提出しています。
万太郎「これは大学には関わりはありません。わたし一人の行動です。教授、私の勝手をお許しください」
徳永教授「本当にいいのか?合祀令からは目をそむければいい…」
万太郎「私はもう決めました…。大変お世話になりました。私に声を掛けていただきありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
徳永は何とか万太郎を引き留めようと説得しますが、万太郎の決意は固いようです。万太郎は植物学者としての覚悟と徳永教授への感謝の言葉を伝えると、教授室から去ることになります。
そんな万太郎の姿を見た徳永教授は、去りゆく万太郎の背中に大好きな万葉集の一句(上の句)を贈っています。
徳永教授「この雪の 消(け)残る時に いざ行かな…」
万太郎「山橘(やまたちばな)の 実の照るも見む…」
大伴家持の和歌「この雪の 消残る時に…」
徳永教授が上の句を詠み、それを受けて万太郎が下の句を諳(そら)んじる…。
かつて万葉集の和歌(第52回放送・朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど…)を通して気持ちが通じ合った徳永教授と万太郎らしい、教養あふれる惜別のシーンでした。
第122回で徳永教授が去りゆく万太郎に贈った和歌「この雪の 消(け)残る時に いざ行かな 山橘(やまたちばな)の 実の照るも見む」(万葉集 巻十九 4226)は、奈良時代の公卿・歌人である大伴家持(おおとものやかもち)が越中(富山)に赴任中に詠んだ歌です。
大伴家持といえば万葉集の編纂に携わった歌人として知られますが、律令制下の高級官吏として各地に赴任しており、この歌も越中赴任の際に見た風景を詠んだものですね。
歌の直訳的意味としては、「この雪が消え残っているうちに、さあ行こう。そして、山橘(=ヤブコウジ)の鮮やかな赤い実が雪の中に照り輝いている姿も見よう」といったところ。
白い雪と、それに照らされるように輝く山橘の実の鮮やかな赤、そして葉の美しい緑。視覚的にもコントラストが強い鮮やかな冬の光景を眼前に、一歩踏み出して新しい世界を見てみよう、そんな気持ちをうたったものでしょうか。
ツンデレ徳永教授なりのエール
ドイツ留学で辛酸を嘗め、研究成果の「勝ち負け」にこだわるようになってしまっていた徳永教授ですが、その心の奥底では植物と万葉集を愛する繊細な心を持ち続けていたようです。
立場的に、神社合祀令反対運動に加担することになるであろう万太郎の船出を手放しに応援することは出来ない徳永教授。愛する万葉集の一句を用いて、(照れ屋の彼なりに)万太郎に最大限のエールを贈ったのでしょうね。
史実では、牧野富太郎と松村任三教授(徳永教授のモデル人物)の確執は長年に渡って続いたとされます。しかしドラマでは対立もほどほどに、万太郎と徳永教授の消えない絆が描かれた形になります。