「らんまん」万太郎、徳永教授の下で大学助手に?モデルの松村任三は牧野富太郎と長年の確執

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NHK連続テレビ小説「らんまん」第21週(8月21日〜)より。田邊により植物学教室を追放された万太郎ですが、留学を終えて大学に戻っていた徳永教授から「助手にならないか」という思わぬオファーをもらうことになります。

このエピソードは史実がもとになっていますが、モデルと考えられる松村任三教授と牧野富太郎の間には長年の確執があったとされますので、その経緯などもまとめます。

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目次

【らんまん】月俸15円 徳永教授から助手のオファー

田邊(要潤)が去った帝国大学理科大学(東京大学理学部)植物学教室では、ドイツ留学から戻っていた徳永政市(田中哲司)が新たな教授となり、田邊色を消した新体制がスタートしています。

ある日、万太郎(神木隆之介)のもとに徳永教授から月俸15円で同大学の助手にならないかというオファーが届きます。

植物学教室の追放から7年。万太郎は無所属のまま奮闘し「日本植物志図譜」を十一集まで作り上げていましたが、いまだに版元は見つからず、家計は苦しいままでした。

徳永からの思わぬオファーを受けた万太郎は、一度は追放された教室にもう一度正面から入れることに感謝し、助手の仕事を引き受けることになります。

【徳永教授、暗黒面に落ちる?】

ドイツの留学先で植物解剖学を学んだ後に帰国し、植物学教室の教授に就任した徳永。かつての田邊のライバルで学長になっている美作と廊下でコソコソと話をするなど、何やらきな臭さが増しています。

徳永は留学先のドイツで学んだ最先端の植物解剖学を教室に導入。泥臭いフィールドワークではなく、顕微鏡の奥の世界を探求する学問にのめり込んでいきます。どうやら徳永はイチョウやソテツが精子を作っている可能性を感じており、この分野の研究で世界を出し抜こうと企んでいるようです。

徳永は、ドイツ留学を経て標本集めや植物分類学を古い植物学だと考えるようになっており、田邊が身を捧げた植物分類学の後継者である万太郎は冷遇されていきます。万太郎は研究の「勝ち負け」にこだわるようになってしまった徳永に違和感を感じて…。

後述するように、徳永のモデルである松村任三は牧野富太郎と長年に渡り確執があったと伝わります。

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【史実】松村任三教授から大学助手のオファー

万太郎が月俸15円で大学の助手に、というエピソードは史実がもとになっています。

1890年(明治23年)に矢田部良吉教授(田邊教授のモデル)から植物学教室への出入りを禁止された牧野富太郎(万太郎のモデル)は、そこからしばらくの間、無所属での研究生活を送っています。

翌1891年(明治24年)頃、富太郎は生家「岸屋」の財産整理のため高知に長期帰郷をしていましたが、この間に「宿敵」だった矢田部教授が学内の権力争いに敗れて罷職に。その直後に、松村任三教授(徳永教授のモデル)から高知の富太郎のもとに「大学に入れてやるから至急上京しろ」という手紙が届いています。

それからしばらく富太郎は高知で家の整理や研究活動に没頭していましたが、1893年(明治26年)に長女の園子が急死したという報を受けて緊急再上京。

富太郎は矢田部のあとを受けて植物学教室の教授になっていた松村任三のもとで、月俸15円の助手として働くことになったのです。※以降、富太郎は助手、講師として47年間に渡り東京帝国大学に勤めています。

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【史実】今度は松村との確執が発生 富太郎を憎んだ松村任三

ドイツ留学を経験し植物解剖学の分野に強みを持っていた松村教授のもと、助手として働き始めた富太郎。しかし、いつの頃からか松村は富太郎に対し憎しみの感情を抱いていったようです

その原因としては、富太郎が植物学雑誌に発表した植物の名前が松村の「日本植物名彙」の植物名と牴触したこと(富太郎が松村の植物名を訂正した)、それでも富太郎が松村とは師弟関係にないのだからと気にせず植物の発表を続けたこと、過去に松村から持ちかけられた縁談が成就しなかったこと…などなど諸要因があるようです(※牧野富太郎の自叙伝より)。

さまざまな原因が重なった末に、「元来好い人であるが狭量な点がある(富太郎談)」松村の怒りを買ってしまった富太郎。

松村は富太郎が副業的に編集を任されていた「大日本植物志」を他の人物にやらせようとしたり、富太郎をたびたび罷職(追放)にしようと企てたりと(この企ては学長になっていた箕作佳吉が防波堤に)、長年に渡り富太郎をチクチクと圧迫していったとか。



富太郎は松村との確執もあってか昇給が叶わずにずいぶんと貧乏生活に苦しんだとも語っており、こうした微妙な関係性は松村が定年で大学を去るまで続いたようです。

松村は定年の際に「私がどうでもやめねばならぬとすれば、牧野も罷めさせておいて、私はやめる」と新聞に語ったとされ、富太郎への敵意はかなりのものだったようですね。

一方の富太郎も、自身の役職が後に助手から講師になったことに関して「全く松村氏の面目が潰れたといってよいわけになる」と自叙伝で痛快そうに語っており、二人の対立はかなり根深かったようです。※これらの話はあくまで牧野富太郎の自叙伝によるもの。松村任三側にも言い分はありそうですね。

★「らんまん」徳永教授の今度の展望、予想

「らんまん」でも今後、徳永教授が聖人化することなく、教室内に何らかの波風を立たせていく可能性がありそうです。史実のように、徳永が万太郎の研究の足かせになる可能性もあります。

また、史実の松村教授はドイツで学んだ植物解剖学を教室に持ち込み、これが平瀬作五郎と池野成一郎のソテツ、イチョウの精子発見に繋がったとされます。二人のモデルと目される画工の野宮(亀田佳明)、波多野(前原滉)がドイツ帰りの徳永教授に影響を受けていくことが予想されます。

前任の田邊教授は植物分類学が得意分野で、その後継者である万太郎の植物学は「古いもの」として扱われていきそうです。そんな逆風の中、万太郎がどのように自分の学問を貫いていくのかが物語終盤の見どころになりそうです。

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