「らんまん」波多野と画工の野宮が同盟結成、後にイチョウの精虫発見へ モデルは画工の平瀬作五郎と池野成一郎の名コンビ

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NHK連続テレビ小説「らんまん」より。

7月20日(木)放送の第79回では、画工の野宮朔太郎と波多野泰久が意気投合をし、タッグを組む様子が描かれています。このコンビの結成が、後にイチョウの精虫発見という偉業に繋がっていきそうです。

このエピソードにはモデル、モチーフになっていると思われる史実がありますので、簡単にご紹介します。

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目次

【第79回】ともに苦境にある波多野と野宮

すでに一生を研究に捧げる覚悟を決めており、卒業後は植物学教室の助手になることが決まっている波多野泰久(前原滉)。

しかし、相棒の藤丸(前原瑞樹)が植物学教室を離れたことや、充実の研究を続けている万太郎(神木隆之介)と比較して自分の研究に強みが見えていないことなどもあり、心にモヤモヤを抱えているようです。

そんな苦しい状況にあった波多野ですが、同じく苦境に立たされていた画工・野宮朔太郎(亀田佳明)と意気投合することになります。

「目に見えないもの」を追求したい波多野

植物学教室雇われの画工・野宮は田邊教授(要潤)から植物画にダメ出しをされ、万太郎のような水準で植物画を描けないのであれば教室を去って故郷に帰れと凄まれていました。

事態を打開したい野宮は、顕微鏡で植物を観察する方法を教えてもらおうと波多野に声をかけることになるのですが、この二人が思わぬ形で意気投合することになります。

「肉眼では見えないけれど、命を司っているもの(例えば受粉など、命の源となる現象)を見てみたい…」

そんな波多野の探究心を聞いた野宮は、芸術家としての血が騒いだのか「もしもそんなものが見えるのなら一生かけても惜しくないでしょう」と波多野の考えを称賛。「その源をいつか描いてもみたい」と自身の思いを熱く語っています。

この野宮の言葉を聞いた波多野は、思わず「じゃあ、僕と組みませんか」と口にしています。

波多野は「野宮さんに僕は植物を観る目を教えます。かわりに野宮さんは僕の手になってください」「僕が発表するときには顕微鏡の奥の奥までうつした植物画が必要。肉眼で見えないものは万さんにも描けない。あなたが僕と来てくれませんか」と野宮に熱烈なオファーを送っています。

【追記】第22週では、波多野と野宮がイチョウの精虫を発見し、世界に向けて発表するという嬉しいエピソードが描かれます。この発見には新たに植物学教室の教授となった徳永(田中哲司)の「顕微鏡の奥の世界」を重視するという研究方針が影響を与えそうです。

▼厳しい植物学教室の現場で生きていくには何かが足りていなかった波多野と野宮。タッグを組んで互いの長所を活かせるようになれば、新しい道が開けるかもしれません。

史実のモデルは画工の平瀬作五郎と池野成一郎か それぞれイチョウとソテツの精子を発見

思わぬ形で誕生した、野宮朔太郎と波多野泰久の新コンビ。

このコンビは、植物学教室の画工から植物学者に転じてイチョウの精子を発見した平瀬作五郎(ひらせ・さくごろう)と、植物学教室出身で牧野富太郎の親友だった植物学者・池野成一郎(いけの・せいいちろう)の関係性がモデルになっていると考えられます。

地元の福井藩中学校(現在の県立藤島高校)に通い、加賀野井成是らに油絵を学んだ後に、東京大学植物学教室のお抱え画工になった平瀬作五郎。平瀬は当初は画工として植物画を描く日々を送っていましたが、やがて植物学に興味を抱くようになり、イチョウの研究を始めています。

平瀬は、植物学教室出身で帝国大学農科大学助教授に就任していた池野成一郎の手を借りながら、明治29年(1896年)にイチョウの精子を発見するという偉業を残しています(世界初の裸子植物における精子の発見)。この世紀の発見には、池野の助力が欠かせなかったとされます。

この池野成一郎という人物は牧野富太郎の親友として知られます。池野は富太郎が教室を出入り禁止にされた際には駒場の農科大学の研究室を紹介したり、富太郎とともにたびたび採集旅行に出掛けるなど、長年に渡り富太郎と交流を続けました。ドラマの波多野泰久とどこか重なりますね。

池野は、平瀬のイチョウの研究を手伝う傍らで自身もソテツの研究を続け、平瀬から少し遅れてソテツの精子を初めて発見。平瀬と池野の発見(イチョウとソテツの精子の発見)は、日本の植物学史に残る輝かしい功績となっています。

【追記】二人の偉業の陰には、ドイツ留学帰りで植物学教室に最新の植物解剖学を持ち込んだ松村任三教授(徳永教授のモデル)の影響も大きかったと思われます。

そろって帝国学士院恩賜賞を受賞 平瀬と一緒に受賞することにこだわった池野

後年、池野はソテツの精子発見の功績などを称えられて帝国学士院恩賜賞を受賞する運びとなるのですが、その際、池野は「平瀬が貰わないのなら、私も断わる」と言って選外だった盟友・平瀬の帝国学士院恩賜賞を学士院に進言。こうした池野の計らいもあり、平瀬と池野は揃って帝国学士院恩賜賞を受賞しています。

もともと平瀬は画工上がりで学歴もなく、イチョウの精子発見の偉業達成後には一時研究を離れて彦根中学などで教鞭をとるなど、植物学界の中央から離れた在野の研究者でした。

こうした弱い立場にあった平瀬に恩賜賞が授与されるというのは極めて異例のことだったそうで、池野と平瀬のアツい友情を感じさせるエピソードとなっています。

「らんまん」の波多野と野宮にも、輝かしい未来、アツい友情を育む未来が待っているのかも知れません。

▼植物学教室を離れて学校で教鞭をとっていた平瀬作五郎は、その後「知の巨人」として知られる偉大な博物学者・南方熊楠と知り合っています二人は意気投合して14年近くに渡り松葉蘭(マツバラン)の共同研究を行っており、平瀬は刺激的な日々を送ったようです。「らんまん」でも波多野が滋賀の第一中学校で講師をしている平瀬に対し「誰と組んでも野宮さんが研究するだけで嬉しい」と平瀬の研究の再開を願っていますが、やがて野宮が南方熊楠とタッグを組んだという報せが波多野のもとに届くのではないでしょうか。

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