「らんまん」万太郎、植物学教室への出入りが禁止に!その原因と理由は?牧野富太郎も食らった出禁

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NHK連続テレビ小説「らんまん」第18週(7月31日〜)では、万太郎が田邊教授から植物学教室への出入り禁止を言い渡されてしまいます。

この出禁エピソードはモデル人物である牧野富太郎も実際に経験したもの。その原因と理由についてわかる範囲でまとめてみたいと思います。

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目次

【らんまん】万太郎、ムジナモの論文で怒りを買い教室出禁に

何の経歴も学歴も持たない万太郎(神木隆之介)に対し、東京大学植物学教室への自由な出入りを許してくれた田邊彰久教授(要潤)。

当初は格下の万太郎を上手いこと利用しようと考えていた田邊教授ですが、万太郎が急速に力をつけて植物学界隈でも名が知られるようになると、次第に万太郎の存在を疎ましく思うようになっていました。

第18週では、万太郎が書いたムジナモの論文が掲載された「植物学雑誌」を見て田邊教授が激怒。田邊教授は万太郎に対し大学への出入りを一切禁止するという厳しい命令を下すことになります。

【補足】第17週で描かれたように、このムジナモは万太郎が東京近郊の池で偶然に見つけた珍妙な水生植物、食虫植物。万太郎は、田邊教授の指摘によりこの植物がアジア圏では未発見である「アルドロヴァンダ・ヴェシクローサ」であることを知り、田邊教授の強い勧めにより論文と植物画を完成させています。万太郎はこの機会を与えてくれた田邊教授への強い感謝を胸に、論文を書き上げたのです。

田邊との共著にしなかったことで激怒か

この突然の激怒の理由ですが、7月28日(金)放送の第85回によれば、万太郎のムジナモの発表論文に共著として田邊教授の名を記さなかったことが原因になってしまったようです。

田邊教授としては、万太郎が発見した水草が世界的に珍しい「アルドロヴァンダ・ヴェシクローサ」だと断定したのは自分自身であり、当然自分の名が併記されるべきだと考えていたようです。万太郎に論文を書かせればそれが植物学教室、そして自分自身の実績になると期待し、田邊教授は万太郎に論文を書かせたのでしょう。

一方の万太郎は、論文を書く機会を与えてくれた田邊教授の恩義にこたえようと誠心誠意論文と植物画を書き上げたのですが、田邊教授との共著という形はまったく頭にありませんでした。恩義を大切にしている万太郎がなぜ田邊教授への感謝の表明を怠ったのか。そのあたりの万太郎の本心は今後明かされるのかも知れませんが、いずれにしても二人の間に認識のズレがあったようです。

これまで、周囲の人たちが一様に万太郎を持ち上げ、慕っている姿を見て虫の居所が悪かった田邊教授。

常に「私が一番」でなければ許せない田邊教授にとって、チヤホヤされ続けている万太郎の存在はずっと疎ましいものだったらしく、ついにこの件で田邊教授の怒りが限界に達してしまうようです。

【史実】突然植物学教室への出入り禁止を食らった牧野富太郎

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一連のエピソードは、万太郎のモデル人物である牧野富太郎が、突然東京大学植物学教室への出入りを禁止された史実がもとになっています。

1884年(明治17年)、東京大学植物学教室の初代教授である矢田部良吉教授の厚意により、同教室への自由な出入りが認められた牧野富太郎。

富太郎は植物学教室の資料や標本を自由に使用できる恵まれた環境の中で力をつけ、「植物学雑誌」「日本植物志図篇」の刊行、新種となるマルバマンネングサ、ヤマトグサの発見など数々の功績を残していきます。

ロシアのマキシモヴィッチ博士から植物画を称賛され、多くの実績により植物学界隈でも名を知られるようになっていた富太郎ですが、1890年(明治23年)になると、突然矢田部教授から植物学教室への出入りを一切禁止されてしまいます。富太郎が教室に出入りするようになってから6年目の出来事でした。

富太郎の自叙伝によれば、矢田部教授が「自分もお前とは別に日本植物志を出版しようと思うから、今後お前には教室の書物も標品も見せることは断る」としたというのが、出入り禁止の表向きの理由。

富太郎は植物学の未来のためにも出入り禁止を撤回してほしいと矢田部教授に懇願していますが、矢田部教授は「西洋でも一つの仕事の出来上がるまでは、他には見せんのが仕来りだから、自分が仕事をやる間はお前は教室にきてはいかん」として発言の撤回を断固拒否しています。

※富太郎は自叙伝において、この矢田部教授による日本植物志の出版決意とそれに伴う出禁宣言に対し「教授の矢田部氏が何の感ずるところがあってかは知らんが」と怒り気味に綴っています。富太郎にとっては青天の霹靂とも言える出禁宣言であり、大きな困惑と失望を感じたとのことです。

ムジナモが出禁の一因?

この当時、牧野富太郎は江戸川のほとりの池で発見したムジナモ(日本初の発見)の研究途上にありました。

富太郎は矢田部教授から突然の出入り禁止を食らうと、友人の植物学者・池野成一郎の手助けを受けて駒場の農科大学の研究室で研究を続行。「植物学雑誌」に和名ムジナモとしてその成果を発表するとともに、精緻な植物画も公表しています。

この植物画のうちムジナモの花を描いたものなどは、開花の前例がなかったヨーロッパ(ドイツ)において文献に引用され、牧野富太郎の名を世界に広めるキッカケになっています。

このムジナモの発見から論文発表、世界的名声獲得へと至る流れが富太郎の植物学教室出禁の一因になったとする説もあり、「らんまん」の元ネタになっていそうですね。

※富太郎がこの不思議な水草を発見した際にこれを教室に持参すると、矢田部教授は書物の中に思い当たるものがあると発言。富太郎は矢田部教授の助言もあり、それが世界的に珍しく日本では未発見だった珍奇な食虫植物であることを知っています。

ドラマ同様に、矢田部教授としては自分が助言したムジナモが富太郎の成果になっていくことが気に食わないという気持ちがあったのかも知れません。

矢田部教授にとって、植物学教室にある膨大な標本や資料の数々は、自身と門下の学生たちが膨大な時間と費用をかけて集めてきた財産のようなもの。格下だと思っていた門外漢の富太郎が、その財産を自由に使っていつの間にか名声を得て、自分を追い越そうとしている…。そんな状況に矢田部教授は耐えられなかったという側面もあるかも知れません。

植物学教室に出入りする権利を失った富太郎は、新たな研究の拠点を求めてしばしの空白の時を過ごすことになります。

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