NHK連続テレビ小説「らんまん」に登場する万太郎の名教館時代の学友・広瀬佑一郎(ひろせ・ゆういちろう)の人物像などをまとめます。
広瀬佑一郎は、牧野富太郎と同じ高知・佐川の名教館で学んだ土木工学者・廣井勇(ひろい・いさみ)がモデルになっています。
【らんまん】広瀬佑一郎 武家の出身 名教館で万太郎とともに学ぶ
広瀬佑一郎は、万太郎が通うことになる地元の学問所・名教館(めいこうかん)で出会う学友です。
名教館は江戸時代に武士の子弟向けにつくられた土佐・佐川町の郷校であり、町人の身分ながら名教館に通うことを許された万太郎は珍しい存在。
多くの武士の子弟たちがそうであるように、清貧な暮らしぶりをしている佑一郎にとっても、見るからに裕福そうなボンボンである万太郎の存在は少し気に食わないかも知れません。
当初は互いに距離感を感じている二人ですが、ある出来事をキッカケに互いのことを知り、友情が芽生えていきます。佑一郎も万太郎と同じく早くに親を亡くし、これからどう生きていくのか悩んでいたのでした。
やがて佑一郎は東京で役人をしている叔父の元で勉学に励むことになり上京。万太郎とは一時疎遠になりますが、後に再会。アメリカに渡り最新の土木工学を学ぶことになる佑一郎の姿は、万太郎に大きな刺激を与えていきそうです。
▷中村蒼(なかむら・あおい)…福岡県福岡市出身の32歳の俳優。NHKドラマ「八重の桜」「本棚食堂」「赤ひげ」「かぶき者 慶次」「詐欺の子」や、映画「ひゃくはち」「BECK」「大奥」「キミとボク」「東京難民」など主演、出演多数。2020年のNHK朝ドラ「エール」では主人公の親友・村野鉄男役を演じており、NHKからの信頼も厚い俳優。
※佑一郎の少年時代は、子役の岩田琉生(いわた・りゅう)が演じます。
【本人】明日から連続テレビ小説『#らんまん』スタートです🍀
— 中村蒼オフィシャル (@lespros_aoi) April 1, 2023
僕が演じる広瀬佑一郎はいつ登場するのか😎
お楽しみにー💐 pic.twitter.com/S4h7h7wfSQ
【モデル人物】「港湾工学の父」廣井勇 名教館の門下生
中村蒼が演じることになる広瀬佑一郎は、「港湾工学の父」と呼ばれる廣井勇(ひろい・いさみ=広井勇)がモデルになっています。
廣井勇は秋田港や函館港、小樽港などの築港や港湾整備に携わり、晩年には札幌の旧豊平橋の設計指導を行うなど、日本の土木界に大きな足跡を遺した人物。
万太郎のモデルになっている牧野富太郎(植物学者)や、田中光顕(元土佐藩士、幕末志士、政治家)、土方寧(法学者)らと並び、土佐・佐川町の郷校・名教館が生み出した偉人の一人です。
廣井勇は、牧野富太郎と同学年(1862年・文久2年生まれ)、同郷(土佐国佐川町出身)の生まれ。
佐川を治めた深尾家の家臣の息子として生まれた廣井勇は、幼少期から名教館に通い、著名な儒学者・伊藤蘭林のもとで学んでいます。廣井勇の祖父・広井遊冥もかつて名教館で儒学や和算を教えた教育者であり、伊藤蘭林も遊冥のもとで学んだという縁があったようです。
※廣井勇は9歳で父と死別すると、11歳の時に叔父で男爵だった片岡利和を頼って上京。片岡の家に身を寄せ、工部大学校(現在の東京大学工学部の前身の一つ)の予科へと進んでいます。同い年だった牧野富太郎は11歳で名教館に通い始めていますが、この時の同級生の一人に廣井勇が居たようです。ほとんど入れ替わりに近い形ですが、11歳の牧野富太郎と廣井勇は名教館で接点があったということになります。
▼故郷・佐川町の佐川文庫庫舎の敷地には、「近代土木の礎を築いた清きエンジニア・廣井勇像」が立っています。牧野富太郎の生家「岸屋」があった「牧野富太郎ふるさと館」からわずか100mほどの場所。
札幌農学校から海外へ 日本の土木界に大きな足跡
東京で工部大学校に通っていた廣井勇ですが、16歳の時に工部大学校の学費の方針変更があったため、生活費を含めた全額を官費により支給されるという高待遇の札幌農学校(北海道大学の前身)に入学しています。
新設されたばかりの札幌農学校の二期生となった廣井勇は、内村鑑三(宗教家)、新渡戸稲造(思想家)、宮部金吾(植物学者)ら後世に名を残す同期らに恵まれるとともに、アメリカから同校に着任していた土木技術者・ウィリアム・ホイーラー(札幌市時計台などを設計)の影響を大きく受けることになります。
卒業後は官費生であったこともあり開拓使御用掛に奉職し、官営幌内鉄道の建設に従事。その後工部省に移り東京高崎間の鉄道の工事監督となり、荒川橋梁の架設などにあたっています。
1883年(明治16年)には自費でアメリカに留学し、セントルイスの陸軍工兵隊本部の技術者として、ミシシッピ川やミズーリ川の治水工事や橋梁の設計などに従事。さらに建設会社や鉄道会社に移り技術者として働き、現地アメリカの大学で教科書として採用される技術書を書き上げるなど、最先端の現場で大きな経験を積んでいます。
ドイツへの留学を経て帰国した後には、母校の札幌農学校の工学科にて教授に就任。欧米で学んだ最新の土木技術を日本の若者に伝え、多くの土木技術者を世に送り出しています。
小樽港、秋田港、函館港…多くの港湾工事
いち技術者としても、日本の代表的な港湾である秋田港、函館港、小樽港、稚内港、釧路港など北日本各地の築堤・築港、港湾整備に従事。
その高い設計力は土木界で大きな評価を得て、1899年(明治32年)には学外出身者にもかかわらず東京帝国大学教授(※)に就任。第6代土木学会会長にも就任しています。ほかにも関門橋の原型となった下関海峡横断橋の設計、初代が落橋して仮設状態にあった旧豊平橋の設計指導を行うなど、日本の土木界に大きな足跡を残しています。
※牧野富太郎は1893年(明治26年)に東京帝国大学理科大学の助手となっています。富太郎はその後47年間に渡り東京帝国大学に所属しており、東大でも廣井と同時代を過ごしたことになります。
多くの工事でほとんど報酬を受け取らず、人生のすべてを土木工事の仕事に捧げた廣井勇は、いつしか「港湾工学の父」と呼ばれるまでになっています。
同郷だった「日本の植物学の父」牧野富太郎とは少し違う道を歩むことになる廣井勇ですが、結果的にともに東京帝国大学に所属。名教館の伊藤蘭林のもとで学んだ精神、飽くなき探究心が結実していきます。
ドラマ「らんまん」でも、槙野万太郎と広瀬佑一郎という後の偉人二人の、若き日の交錯が描かれていきそうです。
▼日本初の本格的なコンクリート製外洋防波堤で、現在も釣りスポットして人気の「小樽港北防波堤」。廣井勇の仕事ぶりを今に伝えます。防波堤の直立面に作用する波力の強度を求める「廣井式(廣井公式)」によって生み出された強靭な構造物は、120年以上の時を経てなお健在。