朝ドラ「らんまん」第22週(8月28日〜)では、万太郎が徳永教授の指令を受けて学術研究員として台湾に旅立つ姿が描かれます。
万太郎のモデル人物である牧野富太郎も1896年(明治29年)に植物採集のための台湾出張を経験しています。富太郎は台湾で愛玉子と呼ばれる植物を採集しており、このエピソードから第22週のサブタイトル「オーギョーチ」が付けられていると考えられます。
【らんまん】万太郎、学術研究員として台湾行き
帝国大学理科大学の助手となっていた万太郎(神木隆之介)は、里中(いとうせいこう)や岩崎弥之助(皆川猿時)からの推薦を受けて、学術研究員として台湾に行くことになります。
今回の台湾行きは、徳永教授(田中哲司)からの指令を受けて帝国大学の人間として現地に派遣されるという形。万太郎は寿恵子(浜辺美波)からお守りとして「日本植物志図譜」を持たされると、寿恵子に見守られて日本の統治下になったばかりの台湾国土の調査に旅立つことになります。
3カ月後。無事に台湾から戻った万太郎は、高知から上京して十徳長屋に転がり込んでいた虎鉄(濱田龍臣)や寿恵子に台湾での出来事を話します。
未知の南国の風景や植物、そして寿恵子が持たせてくれた「日本植物志図譜」と台湾の人が自分の命を救ってくれたこと…。万太郎たちは「オーギョーチ」の身から作ったゼリー状のデザートをみんなに振る舞いながら、台湾に思いを馳せるのでした。
▼何やら万太郎に複雑な思いがありそうな現地台湾の案内人・陳志明。「台湾五大家族」と呼ばれる大富豪・霧峰林家(むほうりんけ)の子孫である俳優・朝井大智が演じています。
高知新聞 PLUS丨台湾デザート「愛玉子」知っちゅう? 現地読み「オーギョーチー」 原料植物は牧野富太郎博士が名付け親―ドラマティックMAKINO! https://t.co/b2G7xdF2ac
— 80C[ハオチー]中華料理がわかるWEBメディア (@80Cjp) August 17, 2023
>原料は台湾にのみ自生する植物で、学名の名付け親は高知県佐川町出身の牧野富太郎博士だ。
知らなかった。
【史実】牧野富太郎の台湾行き、愛玉子 日本統治初期の台湾
万太郎のモデル人物である牧野富太郎も、34歳だった1896年(明治29年)の10月から12月にかけて台湾出張を経験しています。
東京帝国大学の植物調査員として台湾に派遣された富太郎は、北部の基隆(キールン)の港に船で台湾入りすると、約2ヶ月間にわたり台湾を縦断。南部の中心都市・高雄(カオシュン)までを歩き回り、現地の植物の調査、採集を行っています。
「らんまん」第22週のサブタイトル(週タイトル)にもなっている「オーギョーチ」ですが、牧野富太郎が台湾で発見したとされる植物「愛玉子(アイギョクシ、台湾語読みでオーギョーチ)」と、愛玉子の果実から作られる台湾名物のデザート「愛玉(アイユー。日本ではオーギョーチと呼ばれる)」が由来になっているようです。
愛玉子の学名は「Ficus pumila L. var. awkeotsang (Makino) Corner」であり、牧野富太郎がこの植物の発見・命名に寄与した事実が刻まれています。
※あくまでネット上の情報なので絶対的確信は持てないのですが、富太郎は当初、台湾で発見したこの植物(愛玉子)を新種「Ficus awkeotsang Makino」として発表したとか。その後にこの植物が日本を含む東アジアに自生するオオイタビ(学名:F. pumila L.)の一変種であると再分類されたことで、前述したようにMakinoの名を残した「Ficus pumila L. var. awkeotsang (Makino) Corner」という学名に落ち着いたとする説があるようです。この部分は書籍などで確認できていないので、あくまで参考程度にお読みください。
※台湾が日本の統治下にあったのは、1895年(明治28年)4月〜1945年(昭和20年)10月までの50年間。牧野富太郎が台湾に出張をしたのが1896年(明治29年)10月ですから、まさに日本の統治下になったばかりの台湾という土地を把握するために、帝国大学の調査員が派遣されたということなのでしょう。
「らんまん」では台湾に向かう万太郎に対し、陸軍大佐の恩田(近藤公園)が護衛用のピストルを購入するように強く言い聞かせるシーンが登場します。しかし万太郎は政情が不安定な台湾に丸腰で向かい、寿恵子が持たせてくれた「日本植物志図譜」により命拾いをするようですね。
台湾名物スイーツ「愛玉(オーギョーチ)」
台湾に行ったことがある方ならば、夜市の屋台などで「愛玉」「愛玉冰」というメニューの文字を見たことがあるかと思います。
その材料となる愛玉子は台湾の山岳地帯などに自生する台湾の固有種で、クワ科イチジク属のつる性植物(オオイタビの一変種)。楕円形に育った果実を乾燥させて裏返し、水で揉み込むことでペクチンが溶け出し、寒天状のゼリーを作ることが出来ます。
台湾ではこのゼリーにレモン風味のシロップなどをかけて食べる「愛玉(中国語読みでアイユー)」が国民的デザートとして定着しています。暑い台湾でもスルスルと食べられる、さっぱりとした味わいです。
「愛玉(アイユー)」という可愛らしい名前の由来ですが、愛玉子の果実を水の中で揉みだすと固まるという性質を発見した商人が、愛娘の名前「愛玉」を使って売り出したことがその始まりだとか。日本では台湾語読みである「オーギョーチ(ò-giô-chí)」の名が定着しています。
▼牧野富太郎と交流があったという作家の池波正太郎も訪れた、東京・上野桜木(谷中)の老舗「愛玉子」(1934年創業)。今も400円でオーギョーチが食べられます。谷中といえば「らんまん」の万太郎が暮らす根津の隣町であり、牧野富太郎のお墓(谷中霊園)があることでも知られます。