NHK連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」第7週では、勇の提案により雉真繊維に野球部が発足する様子が描かれます。
同じ岡山県の繊維企業による社会人野球の名門「クラレ岡山硬式野球部(倉敷レイヨン硬式野球部)」が、雉真の野球部と重なる気もしますが、果たして…。
勇が率いる「雉真繊維野球部」
亡き兄・稔(松村北斗)に代わり、雉真繊維の後継者としての道を歩み始めた勇(村上虹郎)。しかし、雉真の製品の歴史を野球用語に例えて語って千吉(段田安則)を呆れさせてしまうなど、勇にはまだまだ野球への未練がありそうです。
第7週12月14日(火)放送の内容告知文には、勇が周囲の反対を受けながらも雉真繊維に野球部を発足させることが予告されています。
安子(上白石萌音)が作った、たちばなの味を引き継いだおはぎを食べた算太(濱田岳)は、とある決意を固めます。その頃、雉真繊維では、勇(村上虹郎)の提案で野球部を作る話が上がっていました。当初は千吉(段田安則)をはじめとした周囲の反対がありましたが、次第に野球のチームワークが社内の空気を変えはじめ、売上げにも変化が起きていき…。そしてある日、再び安子の前にロバート(村雨辰剛)が現れ…
NHK番組表 12月14日分より引用
野球の名門「明早大学」(明治+早稲田?)に進学してまで野球を続けた勇のことですから、雉真繊維野球部の活動も真剣に取り組んでいきそうですね。
岡山の繊維企業+野球部=「クラレ野球部」??
岡山有数の繊維会社が、戦後に社会人野球部を立ち上げる…。そう聞くと、岡山県岡山市に本拠を置いた社会人野球の名門「クラレ岡山硬式野球部」を連想してしまいます。
現在、日経225企業として知られる大企業・クラレ(旧倉敷レイヨン)。
岡山を代表する繊維企業である倉敷紡績(クラボウ)の創業者一族・大原孫三郎が、1926年(大正15年)にレーヨン(絹に似せて作った再生繊維、化学繊維)の国産化を目的に創業させた倉敷絹織株式会社がクラレの始まりです。
足袋や学生服の製造で躍進してきた雉真繊維とは異なる企業経歴ですね。
戦後、倉敷絹織は商号を「倉敷レイヨン」に変更すると、1952年(昭和27年)には各工場に点在していた軟式野球部を統合し、岡山工場を本拠とした「倉敷レイヨン硬式野球部」を設立させています。※1965年にチーム名を「クラレ岡山」に改称。
「倉敷レイヨン硬式野球部(クラレ岡山)」は、同じ岡山県内の社会人野球チームである三菱重工水島や川崎製鉄水島と競い合いながら、1957年には都市対抗野球大会に初出場。以降14回に渡り同大会に出場し、3度の8強入り。1973年(昭和48年)にオイルショックの影響により本業の業績が悪化してチームが解散するまで、岡山県内の名門野球チームとして君臨しています。
「不惑の大砲」として知られた門田博光氏(南海ほか)、広島カープの初代ゴジラこと藤井弘氏(広島)、シーズン三振率1.8%を記録した外野手・得津高宏氏(ロッテ)などのプロ野球選手が、同チームから輩出されています。
雉真繊維はフィクション
ドラマに登場する雉真繊維は、基本的には架空の企業(劇中のフィクション)です。岡山発祥の大手学生服メーカー「トンボ(トンボ学生服)」などが雉真繊維のモチーフのひとつなのでは?とも噂されます。
現在のところ、雉真繊維の野球部が「クラレ岡山硬式野球部」のような名門野球クラブに育っていくのか、社内の同好会レベルで終わるのかは不透明です。そもそも巨大企業のクラレと雉真繊維では企業規模がだいぶ違うようにも思えます。
とはいえ、岡山の社会人野球の歴史を語る上で「クラレ野球部」の存在は不可欠。脚本家も当然その存在を意識しながらストーリーを創作していくのではないかと予想します。
甲子園を目指す安子の孫・桃太郎
また、物語後半の京都編(ひなた編)では、安子の孫(るいの息子)にあたる桃太郎(青木柚)が高校球児になって甲子園を目指すようです。
学生野球や社会人野球で活躍した勇、キャッチボールが妙に上手いるいの影響が、どのように桃太郎に受け継がれていくのか…。そのあたりの伏線も、雉真野球部のエピソードの中に張られていくのかも知れません。