「ちむどんどん」三郎の紹介状の内容全文 房子は賢三の元恋人?親戚(叔母)?包丁を見て顔色を変える房子

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NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」5月19日(木)第29回放送より。この日の放送では、暢子の亡き父・賢三とレストランのオーナー・大城房子との間に何らかの繋がりがあった可能性が示唆されています。

平良三郎が大城房子に送った暢子の紹介状の内容全文とともに、賢三と房子の過去、関係性を推察してみます。

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目次

「まさかやー」 賢三の娘と知り驚く房子

銀座のイタリアレストラン「アッラ・フォンターナ」の採用テストで父直伝の沖縄そばを作り、見事に合格を勝ち取った暢子(黒島結菜)。

テストの後、オーナーの大城房子(原田美枝子)は厨房に置きっぱなしだった暢子の包丁を手に取ると、そこに「比嘉賢三」の名前が彫られていることに気が付き、表情を変えることになります。

その後、房子は平良三郎(片岡鶴太郎)が書いた紹介状を読み、暢子が比嘉賢三の娘であることを知ると、思わず「まさかやー」とつぶやいています。

房子が受け取った三郎からの紹介状の全文を以下に引用します。房子、賢三、三郎が昔からの知り合いだったと思われる内容が綴られています。

前略

長らくご無沙汰の上、本日は突然の手紙にて失礼します。この手紙を持参する比嘉暢子さんは料理人になることを強く願望して上京してきたのですが、頼りとして来た身内の消息がつかめなくなってしまったようです。勝手なお願いながら、彼女をアッラフォンターナで働かせていただけないでしょうか。
比嘉さんは亡くなった比嘉賢三君の娘です。今更かとは思いましたが、これも何かの縁かと頼らせてもらいました。何卒よろしく。

草々
平良三郎

賢三の過去 鶴見で働いていた時期あり

賢三の過去は、第1週に本人の口から少しだけ語られています。

それによれば賢三は戦後の一時期、親戚が闇市で食堂をやっていた縁もあり、鶴見で暮らしていた時期があったそうです。

また、後に暢子の手に渡ることになる包丁への思い入れも、暢子と一緒に沖縄そばを作るシーンの中で語られています。

暢子「なんでお父ちゃんはそば作るのが上手なわけ?」
賢三「昔は、いっぱい作ったからね」
暢子「包丁、お父ちゃんの名前が書いてある。なんで?」
賢三「これは昔、世話になった人がくれたお父ちゃんの宝物さ」

第1週・第3回より引用

この会話から推測すると、賢三は若い頃に沖縄そばを作る仕事をしていたのではないかと推測されます。もしかしたら、戦後の鶴見で復員した沖縄出身の元兵士たちを相手に沖縄そばを売っていたのかも知れませんね。(※戦後、近くの横須賀港が多くの復員兵たちの帰還場所になっています。)

また、名前入りの包丁は「世話になった人」からもらった物とのことで、鶴見時代に出会った大切な人(房子?)からのプレゼントである可能性が考えられます。

【追記】その後、賢三は戦後に叔母にあたる房子のもとで働いていたことが判明しています。

房子の過去 横浜生まれ 闇市を生き抜きイタリア修行へ

一方の大城房子ですが、こちらは横浜生まれの「沖縄二世」

戦後の闇市から苦難の時代を切り開き、イタリアでの料理修行を経て、銀座に「アッラ・フォンターナ」をオープンさせたという過去を持ちます。

三郎の紹介状には「比嘉さんは亡くなった比嘉賢三君の娘です。今更かとは思いましたが、これも何かの縁かと頼らせてもらいました。」とあります。

この「今更かとは思いましたが」というのは、遠い過去に終わった賢三と房子の関係性を今更掘り返すという意味なのでしょうか…。

現在のところ(※5月の放送時)、賢三と房子の関係性は以下の2つが可能性として考えられそうですね。

【推測】房子は何者?

【推測①元恋人説】かつて賢三と房子が恋人関係にあり、何らかの原因で二人は別離をしてしまった可能性…?
→これと関係があるかはわかりませんが、賢三は毎朝のお祈りの際に「謝らなければいけないことがある」と発言しており、過去に何らかのわだかまりや後悔を抱えていたようです。

【推測②親戚説】賢三が亡くなった際、比嘉家の子供のうちの一人を引き取ると手紙を送ってきた「東京にいる賢三の叔母」の存在も気になるところ。叔父の賢吉によれば、この叔母は「気難しくて金の亡者」であり、「親の代に本土に移住して」現在は親戚づきあいも途切れているとのこと。「沖縄二世で気難しい」房子がこの叔母である可能性も…?
→優子が叔母からの手紙を受け取った際、差出人の名前をあえて映さないカット割りをしていたのが気になるところです(第8回・12分すぎ)。

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