NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」のヒロイン・比嘉暢子と比嘉家の兄妹たちにモデルは存在するのか、原作となる作品はあるのかをまとめます。
沖縄本土復帰50年 沖縄4兄妹の物語
「ちむどんどん」は、沖縄本島北部のやんばる地方に生まれたヒロイン・暢子と兄妹たちの物語です。
最初に結論を言うと「ちむどんどん」は原作は無く、脚本家・羽原大介氏によるオリジナル作品です。
まず最初に「沖縄本土復帰50周年を記念した朝ドラ」という企画が立ち上がり、そこからNHK制作陣や羽原氏らの話し合いにより「沖縄出身のヒロインが料理店を開く物語」、「4兄妹を軸とした家族の物語」という骨格が決まっていったという経緯があります。
こうしたプロットが見えてくるまでには物語イメージの参考となった文学作品、4兄妹たちのモデルとも言えるような存在があったそうです。
※脚本を担当する羽原大介氏は東京都生まれの57歳。映画「パッチギ!」「フラガール」や朝ドラ「マッサン」、ドラマ「昭和元禄落語心中」など数々の作品を手掛けてきた人気の脚本家です。
4兄妹の物語 「若草物語」「細雪」が参考に
ドラマの大きな柱となる「比嘉家4兄妹」のイメージは、アメリカの作家ルイザ・メイ・オルコットによる半自伝的小説「若草物語」や、谷崎潤一郎の名作文学「細雪」が参考になっているそうです。
「若草物語」は、アメリカの南北戦争の時代に父が従軍し、女ばかりとなったマーチ家(母と4姉妹)の物語です。マーチ家の4姉妹は父不在の中で賢母ミセス・マーチに導かれ、家族や隣人たちとの交流を通して互いに欠点を克服。それぞれが生き方を見出していきます。
少しネタバレになりますが、「若草物語」と同様に比嘉家も今後「父が不在」の状態となり、母・優子と4兄妹が力を合わせて生きていくことになります。当初は比嘉家も4姉妹という設定だったそうですが、後述するように羽原氏の提案により男1人、女3人の4兄妹という設定に変更されています。
一方の「細雪」は、戦前の大阪・船場の旧家を舞台に、4姉妹の日常生活を綴った作品です。
大阪有数の裕福な家だった蒔岡家。今や財産もすっかり減ってしまった蒔岡家4姉妹の鶴子、幸子、雪子、妙子の日々が、特に三女の雪子の見合い話を軸として描かれていきます。戦前の優雅で絢爛な大阪の上流の人たちの生活や、急速に失われつつあった船場(商都大阪)の姿が描かれた作品として有名ですね。
時代の変わり目(戦前の大阪=本土復帰の沖縄)の世相をバックに4きょうだいの群像劇を描くという意味で、「細雪」と「ちむどんどん」には共通点がありそうです。
4兄妹、賢秀、和彦のモデル 実体験がもとに
▼「ちむどんどん」の公式ガイドブックには、羽原氏のインタビューなど、ドラマをより楽しむための情報が満載です。
比嘉家4兄妹や幼なじみの転校生・青柳和彦のキャラクターを作り上げるにあたり、制作陣の実体験などがモチーフになっているようです。
賢秀は羽原氏の父がモチーフ
まずは、脚本家の羽原大介氏。
羽原氏の父の兄妹構成が男1人、女3人だったそうで、父の姿をイメージして脚本を書きやすいこと、物語の中でやんちゃな兄が居たほうが話が転がしやすいことなどを理由に、羽原氏は当初の4姉妹から4兄妹への設定変更を提案したのだとか。
ちなみに、羽原氏の父は破天荒な人物で家族に迷惑をかけっぱなしだったそうで、「ニーニー」こと比嘉賢秀はまさに羽原氏の父をイメージしたキャラクターと言えそうです。
青柳和彦はチーフ演出・木村氏がモデル?
ヒロインの暢子にとって大きな存在となっていく東京からの転校生・青柳和彦。
ドラマのチーフ演出を担当する木村隆文氏は、本土復帰から4年後の小学6年生の時に、父の転勤で那覇に住んでいた時期があったそうです。木村氏はドラマの和彦と同じように転校当初は「ヤマトンチュが来た!」と囃され、色濃いアメリカ文化や沖縄ことばにカルチャーショックを受けたとか。
明言はされていませんが、木村氏のこうした少年期の体験が和彦のキャラクター作りの参考になっている可能性があります。