NHK連続テレビ小説「らんまん」第8週から登場する植物学教室お抱えの画工・野宮朔太郎(のみや・さくたろう)。そのキャラクター設定から、イチョウの精子(精虫)を発見した植物学者・平瀬作五郎(ひらせ・さくごろう)がモデルになっていると考えられます。
演じる俳優・亀田佳明の簡単なプロフィールなどもあわせてまとめます。
植物学教室お抱えの画工・野宮朔太郎
野宮朔太郎(亀田佳明)が初登場したのは、第8週・第37回(5月23日放送)でした。
野宮朔太郎は、もともとは福井の中学校で図画の教師をしていたという人物。類まれな絵の才能を田邊教授(要潤)に見込まれてヘッドハンティングされ、植物学教室の「お抱えの画工」として教室に出入りしています。
本当は西洋の技法を駆使した人物画などを描きたい、画家志望の野宮。植物画にも素晴らしい才覚を持ちますが植物自体には興味がなく、食べるために渋々田邊教授に従っているようです。
その後、万太郎の植物画の画力を過剰に意識する田邊教授は、自身の研究の右腕である野宮に対する要求をエスカレートさせ、きつく当たっていきます。野宮は苦しい状況に追い込まれる中で、同じく研究の方向性に悩んでいた教室所属の学生・波多野(前原滉)と意気投合していきます。
やがて田邊が失脚し、ドイツ留学帰りの徳永教授(田中哲司)が植物解剖学を全面的に押し出していくようになると、顕微鏡の奥の緻密な世界を描ける野宮の実力が教室内で評価されていきそうです。
野宮はただの画工から助手となり、ついに世界的な偉業となるであろうイチョウの精虫を発見。外国語が堪能な波多野の助力で論文も完成しますが、世界はこれを嘘っぱちだと相手にしません。おまけに国内では、野宮が画工上がりであることからその功績を認めてもらえずに…。
▷亀田佳明(かめだ・よしあき)…東京都出身の44歳の俳優。文学座に所属。2004年に文学座本公演「モンテ・クリスト伯」で初舞台を踏むと、2006年に正式に文学座の所属となり、多数の舞台に出演。2019年には文学座公演「ガラスの動物園」および新国立劇場公演「タージマハルの衛兵」の演技が評価され、第54回紀伊國屋演劇賞 個人賞を受賞。テレビドラマへの出演は「臨場」「相棒」「メゾン・ド・ポリス」など。美声の持ち主でもあり、声優としても映画や海外ドラマの吹き替えを担当している。
▼一番左が亀田佳明。
終演直後の #金沢映実 #木津誠之 #下池沙知 と、本日観劇した #亀田佳明
— 文学座 (@bungakuza) May 22, 2023
いよいよ明日「地獄のオルフェウス」千秋楽です! pic.twitter.com/B3iErg3am0
植物学者・平瀬作五郎がモデル イチョウの精子(精虫)を発見
キャラクター設定や名前などから、野宮朔太郎は明治から大正時代に活躍した植物学者・平瀬作五郎がモデルではないかと考えられます。福井出身の平瀬作五郎は帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)の植物学教室で画工として働き、後に植物学者としてイチョウの精子(精虫)を発見した人物として知られます。
以下、平瀬作五郎の簡単な経歴をまとめます。
平瀬作五郎は、1856年(安政3年)に福井藩士・平瀬儀作の長男として現在の福井県福井市日之出で生まれています。
福井藩中学校(現在の福井県立藤島高校)で油絵を学び、卒業後に同校で図画教授助手を務めた後に東京で再び油絵を学び、その後岐阜県でも中学校図画教授方として働いています。
1888年(明治21年)には帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)植物学教室に画工として勤務し、1890年には技手になっています。
※当時の植物画教室には講義に使う図版の製作などのために画工が常時出入りしており、平瀬作五郎もそんなお抱えの画工の一人でした。
牧野富太郎と平瀬作五郎は同時期に植物学教室に出入りしており、当然二人には交流があったことでしょう。富太郎の親友的な存在だった植物学教室出身の植物学者・池野成一郎は平瀬作五郎のイチョウの研究(後述)を手助けしています。
この池野成一郎と平瀬作五郎の関係性は、「らんまん」では波多野泰久と野宮朔太郎の共同研究として描かれそうです。
当初は植物学教室の画工として図画を描いていた平瀬作五郎でしたが、やがて植物そのものに興味を抱くようになり、イチョウの研究を開始しています。
平瀬作五郎は、ドイツの留学から帰り教授となった松村任三(「らんまん」徳永教授のモデル)が教室に持ち込んだ植物解剖学の影響を受けながら、偉大な発見へとつながる研究に没頭。植物学教室出身の帝国大学農科大学助教授・池野成一郎の手も借りながら、世界で初めてイチョウの精子を発見するに至っています(世界初の裸子植物における精子の発見)。
その後、平瀬作五郎は研究の現場を離れて彦根中学、花園中学などで教鞭をとっています。
研究を離れて不遇な時期もあったという平瀬作五郎ですが、1912年(明治45年)にはソテツの精子を発見した偉業により、池野成一郎とともに帝国学士院恩賜賞を受賞しています。
この受賞に際し、盟友の池野成一郎は「平瀬が貰わないのなら、私も断わる」と言って平瀬との帝国学士院恩賜賞の同時受賞を希望したとか。学歴のない在野の研究者だった平瀬の受賞は異例のことでした。
現在も平瀬作五郎が精子を発見したイチョウの木が東京大学理学部付属植物園(小石川植物園)に保存されるなど、平瀬の偉業は讃えられ続け、日本の植物学の歴史にその名を残しています。
▼植物学教室を離れて学校で教鞭をとっていた平瀬作五郎は、その後「知の巨人」として知られる偉大な博物学者・南方熊楠と知り合っています。二人は意気投合して14年近くに渡り松葉蘭(マツバラン)の共同研究を行っており、平瀬は刺激的な日々を送ったようです。「らんまん」でも波多野が滋賀の第一中学校で講師をしている平瀬に対し「誰と組んでも野宮さんが研究するだけで嬉しい」と平瀬の研究の再開を願っていますが、やがて野宮が南方熊楠とタッグを組んだという報せが波多野のもとに届くのではないでしょうか。