「らんまん」万太郎はスピード婚?寿恵子との出会いから恋の成就、結婚までの時系列まとめ

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NHK連続テレビ小説「らんまん」の第13週では、万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)が高知で祝言をあげる様子が描かれています。

劇中では二人の恋の顛末がそれなりに時間をかけて描かれましたが、よくよく考えるとかなりのスピード結婚かと思われますので、出会いから結婚までの時系列、時間経過をまとめてみます。

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目次

出会いから一年半で恋が成就

万太郎(神木隆之介)と寿恵子(浜辺美波)が出会ったのは、明治14年の春に東京・上野で開催された「第2回 内国勧業博覧会」でのこと(第3週)。
※史実では、「第2回 内国勧業博覧会」は明治14年(1881年)の3月1日から6月30日まで開催されています。

その翌年の明治15年春、万太郎は竹雄とともに本格的に上京して根津の十徳長屋に転がり込み、近所の菓子屋の娘として店頭に立っていた寿恵子と再会しています。二人の出会いや恋愛の時系列をざっとまとめると以下のようになります。

★万太郎と寿恵子の恋愛年表

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▽明治14年(1881年)…万太郎19歳、寿恵子16歳

…万太郎、内国勧業博覧会の会場で寿恵子に出会って恋に落ちる。

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明治15年(1882年)…万太郎20歳、寿恵子17歳

…万太郎と竹雄が上京。根津の長屋に住み始めて寿恵子と再会。

…万太郎、白梅堂に出向いてまつと文太に対し寿恵子との結婚希望を伝え、大畑印刷所で修行開始。一人前になるまで寿恵子に会わない日々がスタート。寿恵子は高藤から執拗に求婚される。

…植物学教室の標本の分類が終了。植物学雑誌を創刊させる。ドレス姿の寿恵子が長屋に現れて恋が成就。まつと文太に結婚挨拶。

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明治16年(1883年)…万太郎21歳、寿恵子18歳

…万太郎と寿恵子が甑倒しの日(3月頃)にあわせて高知に帰郷。祝言をあげる。タキが亡くなる。

…再上京。寿恵子と一緒に十徳長屋で暮らし始める。

再会からわずか1年で祝言 史実では?

ドラマの進行が遅かったため、二人の恋愛の成就までにはずいぶんと時間がかかったように感じます。

しかし、実際には明治15年春に万太郎が本格上京して寿恵子と再会し、その年の秋には「ユウガオのお姫様」ことドレス姿の寿恵子が長屋に現れて恋が成就。半年後の明治16年春にはタキが急がせたこともあり、二人は祝言をあげています。

二人は出会った翌年に再会し、その半年後には恋が成就、さらにその半年後には祝言にまでたどり着いており、出会って2年、再会からはわずか1年でのスピード祝言だったことになります。

なお、モデル人物である牧野富太郎とその妻・壽衛子の結婚までの時系列、祖母が亡くなったタイミングなどはドラマとはだいぶ違います。 以下、参考までに牧野富太郎と壽衛子の結婚の時系列などをまとめておきます。

★牧野富太郎と壽衛子の結婚時系列

▷明治14年(1881年)…富太郎19歳。第二回内国勧業博覧会の見物のために初上京。※この時は富太郎と壽衛子は出会っていないはず。
▷明治17年(1884年)…富太郎22歳。本格的に上京。植物学教室への出入りが許される。
▷明治20年(1887年)…富太郎25歳。祖母の浪子が病死。
▷明治23年(1890年)…富太郎28歳。大学の近所の菓子屋の娘だった壽衛子を見初めて結婚。
▷明治24年(1891年)…富太郎29歳。家の財産の整理のために郷里の佐川に長期帰郷。妻の壽衛子と長女の園子は東京に残る。高知で植物採集や音楽活動などに明け暮れる。
▷明治26年(1893年)…富太郎31歳。長女の園子が東京で急死したため再上京。

※ドラマでの万太郎と寿恵子は3歳差の夫婦ですが、富太郎と壽衛子は11〜12歳の年齢差があったようです(※富太郎が年上)。つまり、富太郎は28歳の時に16〜17歳前後だった壽衛子と結婚したことになりますので、今だったら少々問題が…(笑)。

※富太郎は29歳から2年近く、妻子を東京に残したまま高知・佐川に長期帰郷をしています。これは家業・岸屋の財産整理のための帰郷であり、従姉妹の猶(なお)からの「もう送金できるお金がない」という手紙を受けての帰郷でした。この帰郷の際、富太郎は従姉妹の猶と番頭の男を結婚させた上で、岸屋のすべてを猶たちに譲っています。この長期帰郷をモチーフに、ドラマでは万太郎と寿恵子の祝言、タキとの別れ、竹雄と綾の結婚などが描かれています。

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